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私はいかにして弁護士なったか,そしてその時代

私はいかにして弁護士なったか,そしてその時代

初出:『The Lawyers(ザ・ローヤーズ)
連載「弁護士ほど素敵な仕事はない!」(前篇)

はじめに

 

前田尚一(まえだ・しょういち)
前田尚一法律事務所(札幌)代表。弁護士。北海
道大学法学部卒業。企業法務に関する主な取扱い
分野は労働問題、コーポレート、営業取引関連、
債権回収、不動産等。JR札幌病院倫理委員会・臨床
研究審査委員会各委員など北海道地元に密着した
活動を行う。

地方都市の町弁である私が,国際的かつ複雑化する企業活動の最前線で,専門性に富んだリーガルサービスを提供しておられる諸先生の論稿が溢れる本誌で,連載「弁護士ほど素敵な仕事はない」に寄稿するのは,とても気が引けるところです。
しかし,弁護士登録後28年目の地方都市の町弁の実際が見られる稀な機会となるやもしれないなどと勝手に納得しつつ,意を決して筆を執った次第です。

理系の少年が検事にあこがれ法曹の道へ

私が,裁判官,検察官,弁護士を総称する「法曹」を,職業として意識したのは,高校3年生の時です。鉄腕アトムのお茶の水博士か,NHKの「ものしり博士」のケペル先生の影響だと思いますが,私は,小学生の頃から「博士」という言葉に惹かれ,ずっと科学者になりたいと考えておりました。
理系進学コースで受験の準備をする最中,アメリカの航空機の受注をめぐって発覚した戦後最大の汚職事件「ロッキード事件」で,昭和51(1976)年7月に前内閣総理大臣・田中角栄氏が東京地検特捜部に逮捕されました。
「正義」のためには総理大臣も逮捕してしまう特捜検事の活躍を目の当たりにし,検事という職業に憧れたのでした。もっとも,理系進学コースで準備していたので受験しましたが,不合格を良いことにすぐに進路変更し,翌年,北海道大学文類に入学しました。「巨悪は眠らせない」を旗印に脚光を浴び続ける東京地検特捜部に憧れ司法試験の勉強を続け,昭和61(1986)年にようやく合格しました。頑張った割には,時間がかかったという感じです。

当時の司法試験は,5月に短答試験,7月に論文試験,10月に口述試験と半年かけて三つの試験でふるい落とされるという流れでした。論文試験を終えてしばらくすると私の体にある変化が。右眼の視界が下の方から黒くぼやけて見えなくなってきたのです。
病院に行くと「網膜剥離」と診断されました。放置すれば失明してしまうので,直ぐに手術が必要とのことでした。大学病院なのに,たまたまその日の内に入院することができ,数日後に手術を受け事なきを得ました。
病院のベッドの上で論文試験合格を知りました。そして,運良く最後の口述試験の1週間前に退院でき,上京。あしかけ2週間に渡って試験官の顔もはっきり見えないまま試験に臨み,最終合格できました。
試験まで目を使えないので,法律の条文,講義のテープを1日中繰り返し聞くことしかできませんでした。ところが,不思議なことに,試験官からは,テープで覚えた箇所がどんどん尋ねられる。物事,上手くいくときというのは,こんなものなのかも知れません。

検事に違和感。弁護士を目指すことに

司法試験に合格した年の翌年昭和62(1987)年4月から2年間の司法修習が始まりました。当時,始めと終わりが東京湯島にあった司法研修所でもっぱら理屈を叩き込まれ,間の1年は全国に配属され,裁判所,検察庁,弁護士事務所で実務修習となりますが,私の実務修習は,検察庁で始まりました。
ところが,これを目指したはずの私としては,その実態は華やかな東京地検特捜部の活躍とはほど遠く,毎日地味な業務の繰り返しでした。
しかも,検察庁は徹底した官僚システムであり,上司の決裁が絶対的。描いていた東京地検特捜部のイメージと重なり合わせることができず,検事に対する憧れは急速に冷めていったのです。
そのようなころ,ある方からタイミングよく声をかけられ,法律の仕事を生業とするならば,自分の信念や感情を曲げず,自分の人生を自分でコントロールできそうな弁護士になってはどうかと言われ,進路変更することとなったのです。
後に,特捜部の活動が「歪んだ正義」「国策捜査」などと批判され,大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件が起きたことを思い起こすと,私の考えもあながちうがったものではないように思います。ちなみに証拠改ざん事件で起訴された大阪地検特捜部の元副部長は,司法修習で同期でした。

弁護士人生の始まり

弁護士を生業と決め,平成元(1989)年4月に弁護士登録し,勤務を始めた法律事務所は,当時の札幌では珍しく企業法務を主軸とする事務所であり,経済の実態にかかわる場面を近い位置から見ることができました。
もとより裏社会を見ることができたということではなく,そもそもマスコミ報道などで世間的に考えられていることとは違った要因,プロセスで物事が動いている事実を間近に見聞きすることができたのです。何より,本質に迫って本当の解決は何かを見抜かないと,真の解決はあり得ないということを体感する日々でした。
しかもこの事務所は,新しいことを取り入れることに貪欲でした。これまであまり扱ったことのない案件であっても,例えば株式公開したばかりの会社の株主総会対策,労働委員会で処理される対労働組合との労働事件の対処などが,1年目,2年目の私に任されるのです。入門書を探すのも大変な中,リソースを発掘しつつ対応しました。ゼロから始めても何とかなるものだと繰り返し実感しました。
また,地方の倒産事件で,十数台のトラックが並んで,資材置き場に山のようにある丸太を運び出している状況で,おそらく債権者とは顔見知りであろう町の交番の警官が民事不介入と繰り返す中,倒産会社側で対応するといった場面も体験しました。とても,刑法上,窃盗罪に該当するなどと言っている場合ではありませんでした。

開業独立

勤務弁護士時代から数々の経験を重ね,平成5(1993)年4月,独立開業しました。
当時,札幌の弁護士の8~9割が,裁判所から至近距離に事務所を構えておりましたが,私は,やや離れた場所(とはいえ,歩いて裁判所に行ける距離ではあります)にある賃貸マンションの中で十数坪の狭いオフィスを開きました。
そして,平成15(2003)年11月,各階に法律事務所があり,信号のある道を二つ渡り,歩いて数分で裁判所,1階には都市銀行があり,雨が降っても傘を差さずにサンダル履きで振込に行けるビルに事務所を移って現在に至ります。
弁護士会の活動,プロボノ活動などには関心が持てず,「弁護士」の肩書での活動は,ほぼ本来業務のみで,思うがままに仕事をしてきました。
独立したて間も無い時期に携わった案件として,テレビ局,新聞社などマスコミが「円山葬儀場建設反対事件」と呼んだ住民運動を背景とする事件があります。
平成7(1995)年2月に解決した際,読売新聞が「円山葬儀場 訴訟外で決着 反対派が業者へ建設断念和解金9800万円」との見出しで,「市交通局所有地に葬儀場建設を計画したことに,地元住民や隣接する宗教団体が反対。同8月に土地の賃貸契約を結んだ市交通局も巻き込み,昨年3月から相次ぐ訴訟合戦に発展していた中,訴訟外で和解交渉が進められ,業者が建設を断念」と紹介した事件です。
仮処分,住民監査請求・住民訴訟,損害賠償請求事件などでの応酬が繰り返されており,訴訟の戦術的活用場面も経験できました。

この問題の依頼が持ち込まれたのは,問題が起きて1年後ぐらいです。相談を受けたものの,訴訟となれば完全に負け筋と考えられたのですが,直感的に事の成り行きがおかしいと思い,依頼を受けたのです。
住民といっても,解決のために実際に身銭を切ったり,実際に活動したりしたメンバーたちは,隣接地の宗教法人,隣地の周辺の著名寿司店といった面々でした。
世間では,円山住民の「住民エゴ」と捉えられていましたが,政治家がゴリ押しし,裏で札幌市が建設に向けての調整をしたとみられる実態を発見し,一部の新聞,テレビの報道記者らなどと情報や意見を交換しつつ,作戦を練り,ポイントを潰していったところ,それまでエゴに基づく住民運動と決め付けて動いていた市,警察,マスコミの姿勢・対応が逆転してきました。
そして,異例ですが,住民側が9800万円を支払って,葬儀業者が建設を中止するという形での解決となったのです。
同じころの,「大型飲食店ビル第5,第6小笠原ビルのテナント賃料をめぐって延々と係争騒ぎ!札幌,東京の弁護士携え,双方の主張真っ向から対立!」との見出しで地元函館市の経済誌(「NEW現代函館」1995年1月)に報じられた案件も,思い出深い事件です。
金融業者の代理人とて,月額合計約1000万円のテナント賃料を丸ごと押さえ,貸金債権を回収すべく,当時あまり利用されていなかった強制執行手続の一種である強制管理を申し立て,ビルを占有して賃料を取り立てていた不動産業者らと攻防を繰り返したのです。夜,ビル内のクラブで,スナックのママら多数を集め,説明会を実施したり,動きの悪い執行官にクレームをつけたりと,なかなかできない経験が満載でした。

ところで,地方都市の町弁ですから,もちろん,民事訴訟が業務の中心です。次回では,それらも紹介しつつ,私なりの「弁護士ほど素敵な仕事はない」をお話していきたいと思います。
なお,地方テレビ局(HBC・北海道放送。TBS系)の番組で受けた取材が,ネット上で公開されています。私の仕事に関する考え方の変容など,次回触れることになるであろう内容を含むものです。よろしければ,最前線 前田弁護士もご覧いただくと幸いです。
(続く)>>

The Lawyers(ザ・ローヤーズ)  2016.5連載  掲載記事

The Lawyers(ザ・ローヤーズ)
Lawyers5月号掲載

前田 尚一(まえだ しょういち)
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
ただ、私独自の強みを生かすことを、増員・規模拡大によって実現することに限界を感じています。今は、依頼者と自ら対座して、依頼者にとっての「勝ち」が何なのかにこだわりながら、最善の解決を実現を目ざす体制の構築に注力しています。実践面では、見えないところの力学活用と心理戦について蓄積があると自負しています。

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