準備書面:家業を法人化した際、先代が株式払込金を支出した場合において、長男・長女の株主権を認めた事例

次にご紹介する各書面は、平成13年1月1日からの裁判文書のA版横書き化以前のB5版縦書き書面の仕様・表記方法などに従っていたものをほぼそのまま横書きにしたものです。

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********[準備書面その1]***

 

第一 平成八年七月一七日付け被告提出準備書面に対する認否
一 同書面第一乃至四項は認める。

二 同第五項は否認する。
原告甲1(以下「原告甲1」ともいう。)及び同甲2(以下「原告甲2」という。)は、単なる被告の名義株主ではなく、いずれも実質的株主である。

三 同第六項は認める。
ただし、原告甲1名義の株式引受証である乙第一号証の三の印影は原告甲1の印章によるものであり、右書面は原告甲1の意思に基づき作成されたものである。

四 同第七乃至九項は否認する。

五 同第一〇項のうち、原告主張の父Cが死亡の事実は認め、その余は否認する。
第二 原告甲1の主張
一 被告は昭和三七年一一月一九日設立され法人化されたものであるところ、その前身は、明治三七年五月乙’の商号(屋号)で開業し、昭和三五年一〇月に商号(屋号)乙と商号(屋号)を変更したA家の個人営業である。

二 原告甲1は小学校五年生のころより、家業である乙’を手伝い、印鑑の受注納品等を行っていたところ、昭和三〇年三月一〇日高校卒業に伴い、乙’の営業に専念するようになった。
乙’・乙は、A家の家業としてなされ、原告甲1を始めその他の家業に専念している兄弟姉妹にも給料は全く支給されず、乙’・乙の営業から得た利益のうちの生活費その他家計部分はすべて原告らの母D(以下「D」という。)が管理しており、極希に必要が生じた場合小遣い程度の金銭をもらうのみであった。
また、乙の利益の中から将来の営業拡大等のために預金をして蓄積をしていたところ、原告甲1らが無給で働いた結果蓄積できたものであり、A家の家業専業者の共有の資産であったが、当時は乙が個人営業であったため、預金名義は便宜上原告らの父C(以下「父C」という。)名義としていた。

三 原告甲1が乙’の営業に専念するようになった昭和三〇年以降次第に仕事量も増え、当時Qに出店することに決定したことから、男兄弟を同じ株式数とし、父Cは男兄弟の倍程度、Dは男兄弟より若干多い数とすることとし、女姉妹にも若干株式を持たせること、兄弟が給料なしで働いた成果である父C名義の預金を各自の出資金にあてて、乙を法人化することで、家族間の話がまとまり、同三七年一一月一九日被告が設立された。
設立書類作成等はN税理士に依頼し、原告甲1が、株式払込金及び手続費用を前記預金から引きだしたうえ、その中から払込金全額を北海道拓殖銀行に振り込み、全員の分の払込手続を完了させた。

四 被告設立時に、父Cが代表取締役、父Cの長男原告甲1が専務取締役、次男E(以下「E」という。)が常務取締役、三男F(以下「F」という。)が監査役にそれぞれ就任し、原告甲1が中心となって、右E、F、そして原告甲2らとともに業務に邁進し、その後北海道拓殖銀行本店の印鑑の取引を一社独占するようになり次第に業績を上げていったものの、原告甲1は、次第に父Cと意見が対立し退社することとなり、昭和五三年一月一九日取締役を辞任した。
右のとおり、原告甲1は、被告設立以来昭和五三年一月一九日までの間取締役の地位にあって被告の経営全般に携わっていたものである一方、Dが始めて取締役に就任したのは同年八月二〇日のことである。
なお、Fは同五〇年八月二五日に死亡したところ、同人の持株は遺産分割の結果全てDが相続した。

五 以上のとおりであり、被告設立当時の原告甲1名義の七〇株は、単なる
名義株ではなく、原告甲1が他の兄弟と共に無給で仕事をしたことにより蓄積され、実質的に共有である父C名義の預金の持分相当分をもって出資して払込義務を履行したものであることは明らかであり、仮に右預金の名義そのものに拘泥する立場をとったとしても、原告甲1が被告設立までに大きな貢献をしその後も被告の経営全般を携わっていという状況の下で、父Cが原告甲1に右株式を贈与したとみられるものであって、いずれにせよ、右株式は原告甲1所有であるといわざるを得ない。
そして、設立当時の七〇株について原告甲1が実質的株主である以上、その後の被告の無償増資による新株発行に伴い、原告甲1は二八〇株の被告株式を所有していると解するのが相当である。

第三 被告に対する釈明と要望
一 一般に会社が株主に対してする株式数の確認書は頻繁に見受けられるものであるが、確認書と題する書面である乙第三号証は、父C及びDが被告に対し株式数を確認する書面であって、通常見られないものである。同号証がどのような経緯、意図、必要で作成されたのかを明らかにされたい。

二 乙第六号証の一以前の同明細書を提出されたい。
以上

********[準備書面その2]***

この準備書面は,いわゆる「最終準備書面」にあたるもので、本件では有用に機能した書面です。
ただ,「最終準備書面」一般についていうと、その実際の役割については,弁護士と裁判官にズレがあるようである。

 

第一 本件に至る経緯
一 被告会社は、印判、印刷並びに表札製作業及び販売業等を目的とする株式会社であるところ、原告らの祖父B(以下「祖父B」という。)が明治三七年五月乙’の商号(屋号)で開業し、これを原告らの父C(以下「父C」という。)父Cが引き継いだ後、昭和三五年一〇月に乙という商号(屋号)を変更したA家の個人営業を前身とし、昭和三七年一一月一九日設立され株式会社として法人化されたものである。
原告甲1(以下「原告甲1」という。)、原告甲2(以下「原告甲2」という。)は、それぞれ、父Cと母D(以下「母D」という。)の長男、長女である。
なお、A家の家族関係は、別紙のとおりである。

二 乙’は、A家の家業としてなされ、父Cと母Dの子らも、その手伝いをしていた。原告甲1は小学校五年生のころより、家業である乙’を手伝い、印鑑の受注納品等を行っており、中学校にはいってからは、タオル判の荒彫りを手伝うようになった。
ところで、北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)本店は、乙’にとって、祖父Bが開拓した大正初期からの一番の得意先であったところ、父Cが乙’を引き継いだ後も、祖父Bのそれまでの拓銀との強い結びつきから、乙’が拓銀からゴム印などを受注納品し、祖父Bが役職印を別途受注して直接納品するという関係が確保され、全体としては拓銀との顧客関係が維持されていた。
ところが、昭和三〇年三月二八日祖父Bが死亡し、その威光がなくなり、Xという同業者に、乙’の拓銀からの受注の九割を取られてしまう事態になった。
このような事態の中で、父Cは病気となり、高血圧のため毎日のように医師に往診してもらわなければならないようなってしまった。
原告甲1は、もともと高校卒業後大学に進学する意思であったが、このような状況の中、両親から乙’の跡を継ぐよう懇請され、自分の思うようにやらせてもらえることを跡を継ぐ条件にしたところ、両親がこれを了解したので、大学進学を断念して家業を継ぐことにした。
こうして、原告甲1は、昭和三一年三月高校卒業に伴い、家業に専念するようになった。
なお、次男E(以下「次男E」という。)、三男F(以下「三男F」という。)も、いずれも中学入学のころから乙’の仕事を手伝っていたところ、それぞれ高校を卒業した昭和三二年、昭和三三年から、乙’の仕事に専念するようになった。

三 原告甲1の方針は、拡大・積極路線であり、拓銀の仕事も徐々に取り戻し、乙’そして乙の仕事量も次第に増加していった。
昭和三五年ころ、札幌におけるテナント形式による大型店のはしりであるQの開店が決まり(札幌市(以下略) 現在、Rが入居しているビル)、テナントを募集するようになった。
原告甲1は、父Cに対し、業務拡大のためにQにテナントとして出店することを提案したものの、父Cは昔気質の職人であり、従来の家族経営で十分と考えていたため、原告甲1の提案を受け入れようとはしなかった。しかし、その後、乙がQに出店しなければ、近隣の同業者であるSが出店することになることを知り、昭和三六年初めには、原告甲1の提案を了承し、原告甲1は、Qへの出店のための準備を進めていった。そして、父Cは、原告甲1の提案に応じ、Qの出店に合わせ、乙を法人化することも了解した。

四 原告甲2は、昭和三六年三月に高校を卒業後、Yに就職したが、右業務拡大に伴い、人手が足りなくなり、Qへの出店も決まったことから、父C、母Dから、乙の仕事をしてくれるよう要望された。
原告甲2は、乙を法人化する際には株式を割り当てるということでもあったので、昭和三七年四月、Yを退職し、乙で販売のほか、ゴム張り作業や注文取り、配達に従事するようになり、Q出店後は、次女Tとともに、そこでの販売等も担当するようになった。

五 Q出店に合わせ乙を法人化する準備に入る時機に入り、乙で職業として稼働していた親子が集まり、法人化の具体的内容について話し合いをした。
その結果、株式数については、原告甲1ら男兄弟を同数とし、父Cは男兄弟の倍程度、母Dは男兄弟より若干多い数とすることとし、原告甲2にも若干株式を持たせること、母Dの叔母の子であるG(以下「G」という。)及び右Gの親戚であるH(以下「H」という。)に名義を借りることに決まった。
ところで、乙は、乙’以来A家の家業としてなされており、それまで、家業に職業として専念している原告ら兄弟姉妹についても、給料は全く支給されず、家族全員の生活費その他家計部分はすべて母Dが管理しており、ごくまれに必要が生じた場合小遣い程度の金銭をもらうのみであった。
そして、乙の収益の残りは、将来の乙のために預金をして蓄積をしていった。このように右預金はA家の家業に従事する者らの共有の資産であったが、乙が個人営業であったため、便宜上父C名義としてあった。
そこで、法人化に当たり、給料なしで働いた成果である父C名義の預金を各自の出資金にあてて、乙を法人化することで、右家族間の話がまとまった。
なお、当時、四男I(以下「四男I」という。)は数日で成人を迎える年齢であったが、東京の大学に通っており東京で就職する予定であり、家業を手伝う意思も予定もなかった(現に、四男Iは大学卒業後東京で就職した。)。また、三女J(以下「三女J」という。)は一五歳であり、四女K(以下「四女K」という。)は一三歳であった。
そして、Qへの出店と同じころ、昭和三七年一一月一九日、被告会社が設立され、次のとおり、株式が割り当てられることになった。
1 父C      一五〇株
2 母D    八〇株
3 原告甲1  七〇株
4 次男E   七〇株
5 三男F   七〇株
6 原告甲2 二〇株
7 H     二〇株
8 G     二〇株
設立書類作成等はN税理士に依頼し、原告甲1が、株式払込金及び手続費用を前記預金から引きだしたうえ、その中から払込金全額を北海道拓殖銀行に振り込んで払込手続を完了させた。

五 被告会社設立時に、父Cが代表取締役、長男である原告甲1が専務取締役、次男Eが常務取締役、三男Fが監査役にそれぞれ就任し、昭和四二年一旦東京に就職した四男Iを迎え、原告甲1が経営全般、特に営業を、右E及びIが製造を、右Fが経理を、原告甲2が販売を主として担当した。
そして、原告甲1が中心となり、消極的な考えをする両親を説得しながら、次男E、三男F、原告甲2、四男Iらが業務に邁進した結果、被告会社は、昭和四〇年には拓銀本店の印鑑の取引を一社独占するようになり、売上げも毎年前年比二桁アップで推移し、昭和四五年には前年の売上比二倍の三五〇〇万円を達成した。
そして、昭和五〇年、テナント方式でオープンしたUへの出店(札幌市(以下略)所在 それ以前はVという二階建ての本屋であった。)、昭和五一年、地下鉄新札幌駅上にオープンしたWへの出店(札幌市(以下略)所在 札幌で初めてのテナント形式の地下鉄駅ビルである。)、昭和五二年、Rへの出店(札幌市(以下略)所在 札幌で初めての国鉄駅ビルである。)が順次実現された。
このような中、三男Fが、昭和五〇年八月二五日、脳腫瘍で死亡し、遺産分割協議の結果、同人の被告会社の持株は、すべて母Dが相続することになった。
なお、母Dが始めて被告会社の取締役に就任したのは、原告甲1が被告会社取締役を退任した七か月後の昭和五三年四月二三日のことである(甲イ二七)。また、五男L(以下「五男L」という。)は、昭和四三年大学卒業後に東京の信用金庫に就職したが、三男Fが死亡後、帰郷し被告会社の経理を担当するようになり、母Dと同じ時期に取締役に就任し(甲イ二七)、平成六年まで被告会社に勤務した。

六 このように被告会社の業績が順調に推移する中、原告甲1は、A家の自宅の新築、ビルの建築、有限会社Aビルの設立等A家の財産に関わる事柄についても、交渉、借入等中心的役割を果たしていた。しかし、父Cは原告甲1を評価しようとせず、原告甲1と父Cは、次第に意見が対立するようになっていた。
そして、昭和五二年末に、道内一の老舗であったOから突然の印刷年賀状の大量注文があり、原告甲1は、何とか年賀状はがきを確保し注文に応じたところ、原告甲1は、今後の取引関係維持による受注量安定化・信用の増大のためにも現状価格にすることを強く主張したが、父Cは値上げを主張して譲らないという事態になった。
そのため、経営方針そのものについて、原告甲1と父Cとの対立が決定的となり、原告甲1は、被告会社を去ることとなり、昭和五三年一月一九日取締役を辞任し、札幌市(以下略)にPを開店し、独立した。

七 その後、昭和五三年四月二三日、被告会社設立以来初めて、母Dが取締役に就任し、昭和五五年八月三〇日代表取締役に選任されたが(甲イ二九)、経営的な面は男兄弟が相談して決めていた。
そして、母Dは、昭和五六年七月、自分の株式の中から、次男Eに四五株、四男Iに三〇株、五男Lに二五株を贈与した。
また、被告会社は、昭和五六年一二月一〇日ころ、無償交付によって、資本金を二〇〇万円に引き上げるとともに発行株式総数を二〇〇株とし、株主の持株割合に応じて新株を与えた。

八 ところが、被告会社内部で紛争が起こり、次男E、四男Iが母Dの考えを変えるために辞任届を提出したことを奇貨として、三女J、四女Kが主導し、被告会社は、札幌市(以下略)被告会社本店において臨時株式会社(以下「本件株主総会」という。)を開催したとして、三女J、四女Kを取締役に選任する旨の決議及び定款一八条及び五条の変更議案に関して決議がなされたと称し、同年一一月六日、三女J、四女Kの取締役就任の登記を了してしまった。
現在、被告会社は、企業として事実上分裂し、それぞれが、収益を二分して取得している異常な状態にある。

第二 株式
一 設立時の株式
1 個人営業であった家業を法人化するにあたり、現に職業として家業に専念している子らに株式を割り当てられた場合、特段の事情のない限り、少なくとも、親からの、生前贈与的意味合い、報償的意味合い、後継することに対する対価的意味合いがあるのが一般であり、子らに割り当てられた株式が単なる名義株であるとは考えられない。
被告会社は昭和三七年一一月一九日設立された株式会社であるが、設立の際、株式名義人のうちH及びG以外の者はすべて、被告会社の前身である乙において、単なる家業の手伝いとしてではなく、職業として従事していたことは、当事者間に争いがなく、右事実だけによってもH及びG以外の者はいずれも実質的株主であることが推認されるところである。
そして、本件では、これに反する特段の事情が見あたらないばかりか、かえって、次のような事実等が認められ、被告会社設立時の原告甲1名義の七〇株、原告甲2名義の二〇株は、それぞれ、原告甲1、原告甲2所有のものであることは明らかである。

(1)被告会社設立時における株式は、H及びGを除いて、いずれも本格的に乙に職業として従事していたばかりか、以後被告会社で働き続ける予定の者らに割り当てられたものである。
そして、原告甲1は、もともと高校卒業後大学に進学する意思であったにもかかわらず、当時の乙の状況から、両親から乙’の跡を継ぐよう懇請され、考えあぐねた後、自分の思うようにやらせてもらえることを跡を継ぐ条件にし、両親がこれを了解したので、大学進学を断念して家業を継ぐことにし、昭和三一年三月高校卒業に伴い、家業に専念するようになった。
また、原告甲2は、昭和三六年三月に高校を卒業後、Yに就職したものの、右業務拡大に伴い、人手が足りなくなってきたことから、これを退職して乙の仕事をしてくれるよう要望された。原告甲2は、乙を法人化する際には株式を割り当てるということであったので、昭和三七年四月、Yを退職し、乙で働くようになったものである。もっとも、原告甲2は、昭和四七年六月結婚したことを契機に被告会社を退職しているが、もともと結婚後も仕事を続けるつもりであったものの、嫁ぎ先が室蘭市であったため、退職することを余儀なくされたものである。
ところで、被告会社は、これらの者が、当時成人であったことから、便宜上株式引受をしたに過ぎないと主張をしているが、法的に未成年に株式を割り当てることに法律的に問題はないし、事務手続上の煩雑さもないはずである。むしろ、成人ということに拘るのであれば、設立日の数日後に成人となる四男Iにも株式を割り当ててしかるべきであるが、四男Iは当時大学生であり、東京で就職する予定であって、乙を手伝う意思も予定もなかったことから(現に、四男Iは大学卒業後東京で就職した。)、株式を割り当てられていない。
そして、父Cが代表取締役に就任したほか、原告甲1が専務取締役、次男Eが常務取締役、三男Fが監査役にそれぞれ就任し、以降、原告甲1が経営全般、特に営業を、右Eが製造を(後に四男Iが加わった。)、右Fが経理を、原告甲2が販売を主として担当し、原告甲1が中心となって、業務を拡大し成果をあげていった。

(2)しかも、被告会社への出資は、それまで乙において職業として働いていた者らが、無給で仕事をしたことによって蓄積された、実質的にこれらの者の共有というべき預金から捻出され、原告甲1が払込手続を完了させたものである。
被告会社は、その設立の際、原告らからは、一切の出資がなく、また、原告らには当時出資する資力もなく、父C及び母Dが全額を出資したと主張している。しかしながら、出資金の捻出は、右の性格の預金からなされたものであり(母Dも同様である。)、原告らが、家業に専念しながらも格別の資産を有していなかったのは、従業員給与の支払いを受けていなかったためであり、むしろ右預金の性質を裏付けるものであるし、右預金による出資は、少なくとも給与の精算的意味がある。

(3)そして、昭和五〇年八月二五日、三男Fが死亡した際、母Dは三男Fの被告会社設立以来の株式七〇株をすべてを相続しており、右事実については当事者間に争いがない(平成九年一月二三日付け被告提出準備書面第一の四)。
このことは、三男Fが設立当時からの実質的株主であったことを前提としなければあり得ないことであり、そうであれば、三男F以外の子らを区別する合理的理由はない。

(4)原告らの株式の名義は、原告甲1が父Cとの対立から被告会社の取締役を辞任し独立したことから、父Cらによって、別の名義に変更されたたものである。
もっとも、乙第三号証には、それ以前に名義が変えられたことに一応整合する記載がある。しかしながら、後記2のとおり、乙第三号証は、作成の目的、趣旨が全く不明であり、信用性の認められないものであって、日付どおりに作成されたか疑わしいものである。
そして、当時W店を担当していた三女J、Q店を担当していた四女Kは、いずれも、原告甲1が独立した後に、その株式名義を変えた旨を供述している(J調書三〇頁以下、K調書一四頁以下)。もっとも、右Jについては、再主尋問において、三女Jは右供述を撤回するかのような態度を示しているが、自分では見たこともない乙第三号証を示され、被告代理人にこれが記載の時期に作成されたものであとの前提で誘導された結果に過ぎず、前後の供述態度に照らしても、信用できるものではない。

(5)また、被告会社においては、株主総会が開かれ、原告らもこれに株主として出席していた(J三一、三二頁、K一四、一五頁)。

(6)ところで、被告会社の税理士M(以下「M税理士」という。)は、昭和五一年から被告会社に関与しているところ(甲イ第一八号証五頁)、別事件(御庁平成八年(ワ)第一七九五号)において、証人として、自ら関与後の事情に関し(被告会社設立時は関与しておらず(同二五頁)、その当時の状況については伝聞の域を出ないものである。)、父Cが原告甲1に対し相当に強い憎しみを持っていたこと(同三一頁)、原告甲1名義のものはM税理士が原告甲1独立後に父Cらの意向で原告甲1の意向を確認することなく名義変更をしたこと(同三一頁)、乙では株主総会が開催されていたこと(同二八頁)等を供述している。

2 しかるに、被告会社は、被告会社の実質的株主とその持株数は、父Cが一五〇株、母Dが三五〇株であると主張し、確認書と題する書面である乙第三号証を提出している。
しかしながら、一般に会社が株主に対してする株式数の確認書は、法的にも意味を持ちえ、しばしば見受けられるものであるが、乙第三号証は、父C及び母Dが被告会社を名宛人として対し株式数を確認する内容の書面であり、通常見られない形態の文書であって、被告会社自体においてさえ、趣旨不明の文書であり(原告らは被告会社に対し釈明を求めたが、同号証がどのような経緯、意図、必要で作成されたのかを明らかにされておらず、被告代理人も、Jの尋問の際(調書三六頁)、その意味が不明である趣旨の発言をしている。)。母D自身さえも記憶にない書類であって(調書三四頁以下)、信用性に乏しいものというほかない。
そして、当時、この種の文書を作成しうるのは当時M税理士しかいなかったところ、原告らの株式の名義を変更する際に、辻褄を合わせるために作成したものであることが強く疑われる(前記1のとおり、M税理士は、被告会社設立には全く関与していない。)

3 以上のとおり、被告会社設立時の株式名義人は、H及びGを除き、すべての者が当時被告会社の前身である乙’において職業として仕事にに専念し、その後も仕事に従事していくことが予定されていた者であることに加え、原告甲1は、もともと大学に進学する意思であったが、当時の乙の状況から、両親から乙’の跡を継ぐよう懇請され、自分の思うようにやらせてもらえることを跡を継ぐ条件にし、大学進学を断念して家業を継ぐことになり、その後主導的立場にあったこと、原告甲2は、別に勤めていたが、Q出店、乙の法人化を目前とした時期に、人手が足りなくなってきたことから、父Cらから乙の仕事をしてくれるよう要望され、法人化の際の株式割当を前提に乙で働くようになったこと、株式の割当は父C・母Dが独断で決めたものではなく、現に家業に職業として従事していた者が集まり話し合いのうえ株式数などを決めたこと、設立日の数日後に成人となる四男Iは、当時大学生であり、東京で就職する予定であって、乙を手伝う意思も予定もなく、株式が割り当てられていないこと、被告会社への出資は、それまで乙において職業として働いていた者らが無給で仕事をしたことによって蓄積された預金から捻出され、原告甲1が払込を完了させたたものであること、父Cが代表取締役に就任したほか、原告甲1が専務取締役、次男Eが常務取締役、三男Fが監査役にそれぞれ就任し、以降、原告甲1が経営全般、特に営業を、右Eが製造を、右Fが経理を、原告甲2が販売を主として担当し、原告甲1が中心となって、業務を拡大し成果をあげていったこと、母Dは、原告甲1が退任後初めて取締役に就任したこと、被告会社においては、株主総会が開かれ、原告らもこれに株主として出席していたこと原告甲2は結婚したことを契機に被告会社を退職しているが、もともと結婚後も仕事を続けるつもりであったものの、嫁ぎ先が室蘭市であったため、退職することを余儀なくされたものであること、三男Fが死亡した際、その株式はすべて母Dが相続したこと、原告らの株式の名義は、原告甲1が父Cとの対立から被告会社の取締役を辞任し独立したことから、原告甲1に対し強い憎しみを持っていた父Cらの意向により、M税理士が原告らの株式名義を別の名義に変更したこと等の事実が認められる。
これらの事実を総合すれば、原告らがそれぞれ払込義務を履行したと認められるし、仮に百歩譲って、前記預金の名義そのものに拘泥するとしても、父Cが原告それぞれの払込義務を原告らに代わって履行したか、父Cが原告らに株式を贈与したものと解され、いずれにせよ、被告設立当時の原告甲1名義の七〇株、原告甲2名義の二〇株は、いずれも単なる名義株ではなく、それぞれ原告甲1、原告甲2所有のものであることは明らかである。

二 現在の株式
前記一のとおり、設立当時、七〇株について原告甲1が、二〇株について原告甲2がそれぞれ実質的株主であるところ、被告会社が内部留保をもとに平成六年八月二九日付けで無償の新株発行をした以上、右行為は、株主に持株数に応じた株式を与えて持株数を増加させる行為であるから、原告甲1は二八〇株の、原告甲2は株八〇株の被告会社株式を所有していると解するのが相当である。

第三 株主総会不存在・取消
被告会社は平成七年一〇月一七日臨時株主総会(「本件株主総会」)を開催したとされるが、被告らはこの事実を何ら立証していない。
仮に、株主総会らしきものが開催されたとしても、前記第二のとおり、原告らは、被告会社設立以来、いずれも被告会社の実質的株主であるところ、本件株主総会においては、原告らには招集通知が発せられておらず、招集手続に重大な瑕疵がある。
したがって、本件株主総会は不存在であるか、取り消されるべきものである。
以上

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