会社の支配権の確保

家業を法人化した際、先代が株式払込金を支出した場合において、長男・長女を実質的株主として株式を取得させるため、その株式払込義務を代わって履行したものであるとして、長男・長女の株主権を認めた事例

札幌地方裁判所平成9年11月6日判決
「判例タイムズ」1011号240頁

 

本件は、経営にタッチしておらず、会社に株主権を否定された少数株主側を代理した案件です。

閉鎖的な同族会社では、個々の家族構成間の利害関係を背景として、誰が株主なのか争いとなる場合があります。
株式と名義というテーマでは、当時、株式譲渡、名義書換に係る事例に関する裁例は少なくありませんでした。
しかし、株式を原始的に取得した者について端的に判断した裁判例で公表されているものは、ほとんど見当たりませんでした。

本判決は、被告会社の設立に当たっては、先代がすべての株式の払込金を支出したものであるものの、原告らを単なる名義株主としたものとみるのは相当ではなく、先代は、実質的株主として原告らに株式を保有させるため、原告らの株式の払込義務を原告らに変わって履行したものと認めるのが相当であるとして、原告らの株主権を認めた事例です。

なお、場面は少し違いますが、本判決言渡し後20年を経た近時、牛島信弁護士の小説『少数株主』(2017 幻冬舎)でも取り上げられていましたが、宝の持ち腐れになっている少数株主の潜在的な権利の価値どのようにして現実のものにするかが、大きなテーマとなってきています。

本判決を登載した判例雑誌「判例タイムズ」の解説では、「本件は、株式払込金の負担金ではないという形式だけで事柄を決することなく……実質を重視して木目細かな判断を示している。いずれにしても、本件は事例的意義を有するものとして、実務上参考になろう。」と述べられています。

この解説では、「本件の特色としては、株式払込金の負担者が長男・長女を実質的株主として株式を取得させるため株式払込義務を代行したとする事実認定にある。払い込んだ金員が家族の共有資産であった旨の主張を排斥している点は、個々の権利の可及的明確化という観点から評価されよう。そして、株式払込金の負担者ではないという形式だけで事柄を決することなく、……のような実質を重視して木目細かな判断を示している。」と評価しています。
しかし、このような事実認定こそが訴訟代理人として目指したことにほかなりません。そのために、当方の準備書面では、二段構えに構成して、個別具体的な事実を詳細に主張をして、裁判所がそのような認定がされやすいように工夫しました。この準備書面は、こちらをご覧ください。 

 

 

[参 考] 判  決

主   文

一 原告X1が被告の株式二八〇株を有する株主であることを確認する。
二 原告X2が被告の株主八〇株を有する株主であることを確認する。
三 被告の平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会における多田玲子を取締役に選任する決議並びに定款一八条及び五条を変更する決議が存在しないことを確認する。
四 訴訟費用は被告の負担とする。

理   由

第一 原告らの請求
一 主文第一項から第三項までと同旨
二 (主文第三項についての予備的請求として)被告の平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会における多田玲子を取締役に選任する決議並びに定款一八条及び五条を変更する決議を取り消す。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 被告は、印判の製作販売などを目的として、昭和三七年一一月一九日に設立された株式会社である。
被告の前身は、明治三七年にAがB1の屋号で開業した個人事業にさかのぼる。B1は、昭和一六年ころからはAの子であるC(明治四二年二月二四日生)が個人事業を承継し、昭和三五年一〇月には屋号をB2と変更して、昭和三七年一一月一九日に法人化された。
2 被告代表者であるD(大正二年三月一三日生)は、昭和一二年五月にCと婚姻をし、夫婦の間には、次の一〇人の子が出生した。
長男 原告X1 (昭和一二年九月一〇日生)
二男 E(昭和一三年一一月三日生)
三男 F(昭和一五年二月三日生)
長女 原告X2(昭和一六年一一月一〇日生)
四男 G(昭和一七年一一月二四日生)
二女 H(昭和一九年二月六日生)
五男 I(昭和二〇年五月一四日生)
三女 J(昭和二二年六月一一日生)
六男 K(昭和二三年七月九日生)
四女 L(昭和二四年一一月一一日生)
3 被告は、一株の金額一〇〇〇円、設立時の発行株式総数五〇〇株、資本金五〇万円の株式会社として設立された。
設立に当たっては、C、Dの夫婦、原告X1、E、F、原告X2の四人の子と、Dの親類であるMの七人が発起人となり、Cが一五〇株、Dが八〇株、原告X1が七〇株、Eが七〇株、Fが七〇株、原告X2が二〇株、Mが二〇株の株式を引き受けた。残りの二〇株は、Dの親類であるNが募集に応じて株式の申込みをする形態をとった。このうち、MとNは、株主の名義を貸したものであり、実際には株式の払込みはしていない。
4 被告は、昭和五六年一二月一〇日、新株一五〇〇株を発行して、発行済み株式総数を二〇〇〇株、資本金を二〇〇万円とした。
この新株の発行では、新株一株の発行価額を一〇〇〇円とし、同年八月三一日現在の株主に対し、一株につき新株三株を割り当てる発行方法がとられた。しかし、新株の払込みには被告の内部に留保されていた金員が充てられ、株主は現実の払込みをしていない。
5 被告は、平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会で、Oを取締役に選任する決議と、定款一八条及び五条を変更する決議がされたとして、同年一一月六日、Oの取締役就任登記をしている。
6 被告は、C、Dの夫婦が全額を出資して被告を設立したものであり、この二人のみが株主であったと主張して、原告らが被告設立時において実質的株主であったことを争っている。
二 争点
原告らは、被告設立時において、被告の実質的株主であったか、それとも単なる名義株主であったか。
第三 争点に対する判断
一 事実経過の認定
証拠(甲イ一~一九、二一、乙一の1~8、二、四、六の1・2、原告X1本人、原告X2本人、被告代表者)によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告X1は、もともと大学に進学することを希望していたが、昭和三〇年六月ころ、父であるCが高血圧症で倒れて十分な仕事ができなくなり、家族が多く家計に大学進学の費用を出すだけの余裕もなくなったため、両親から家業であるB1の後を継いでほしいと要請された。そこで、原告X1は、大学進学を断念して、昭和三一年三月、高校を卒業した後、B1の業務に従事するようになった。
二男のEと三男のFは、もともと家業を継ぐことを決めていたので、Eは昭和三二年三月に高校を卒業した後、Fも昭和三三年三月に高校を卒業した後、ともにB1の業務に従事するようになった。
2 原告X1、E、Fの三人の兄弟は、病気がちのCや母のDをよく助けて、B1、屋号変更後はB2の業務に専念した。原告X1ら三人の兄弟は、家計を管理していたDから小遣いや衣服などの生活用品は与えられていたが、B1やB2の業務に従事することの対価として給与の支給を受けることはなかった。
B1、B2はCの個人事業であったため、その営業により得られた利益は、一家の家計に充てられ、余剰が生じたときはC名義の預金として蓄えられていた。
3原告X2は、昭和三六年三月に高校を卒業した後、隣家の衣料品会社に就職していたが、B2が次第に業績を伸ばして人手が足りなくなってきたため、両親から家業を手伝うよう要請されて衣料品会社を退職し、昭和三七年四月から、B2の業務に従事するようになった。
4 原告X1は、家業を発展させるため事業を拡大することを意図し、昭和三七年秋、札幌市中心部の狸小路三丁目にサン・デパートが開店した際には、慎重な態度をとる両親を説得して、サン・デパート内にテナントとしてB2の印章売場を出店させた。この出店が成功して、B2は好調に業績を伸ばした。
この出店を契機として、原告X1は、両親に対し、将来のためにもB2を法人化すべきであると進言した。CとDも、これに同意し、B2を法人化することが決まった。
5 B2の法人化による被告の設立については、C、Dと原告X1とが協議し、設立に必要な書類の作成などは、P税理士に依頼した。
この協議により、設立に当たっては、両親であるC、Dと、家業を継ぐためにB2の業務に専念していた原告X1、E、Fの三人の兄弟、家業を手伝ってB2の業務に従事するようになった妹の原告X2の六人が発起人となって株主となること、その持ち株数は、原告X1、E、Fの三人の兄弟は同じように仕事をしていたので平等にそれぞれ七〇株とし、社長となる父のCはその二倍程度の一五〇株とし、母のDは三人の兄弟より少し多く八〇株とし、原告X2はずっと会社の業務を手伝っていくというので二〇株とすることが決まった。このほかの兄弟姉妹は、未成年で家業にも従事していなかったので株主とはせず、当時の法制で必要とされた七人目の発起人と、設立手続が簡易な募集設立の形態をとるために必要な株式申込人には、Dの親類に依頼して名義を借りることが決められた。
総額五〇万円の出資金については、個人事業時代に利益を蓄えていたC名義の預金口座から五〇万円を払い戻し、その五〇万円が株式の払込みに充てられた。
6 こうして設立された被告は、以後、代表取締役がC、取締役が原告X1とE、監査役がFという役員構成の下で、原告X1が業務全般の中心となり、E、F、原告X2がこれに協力し、Fは経理も担当するという体制で運営されていった。
7 昭和四二年ころ、東京で大学を卒業して就職していた四男Gが帰郷し、被告の業務に従事するようになった。
昭和四七年六月、原告X2は、結婚して室蘭へ転居することとなったため、被告から退職した。
昭和五〇年八月、Fが死亡した。Fが保有していた被告の株式七〇株は、父であるCが病気がちであったため、遺産分割協議により、他の遺産とともに、母のDが相続した。
Fが死亡したため、大学を卒業して東京の信用金庫に勤務していた五男Iが両親から呼び寄せられて帰郷し、被告の経理を担当するようになった。
8 原告X1は、昭和五三年一月、被告の経営方針についての相違などからCと対立したため、取締役を辞任して被告から退職し、同年四月、被告と同種の業務を行う個人事業を始めた。
被告では、同年四月、D、G、Iが新たに取締役に就任し、昭和五五年八月には、DがCと並んで代表取締役に就任した。
原告X1が取締役を辞任して退職した後、Cは、被告の顧問税理士であるQに対し、被告の実質的株主はCとDの二人であると述べるようになり、昭和五六年七月、Dは、自分が保有する被告の株式から、Eに四五株、Gに三〇株、Iに二五株を贈与した。
二 認定事実に基づく判断
1 被告の設立に当たっては、C名義の預金口座から払い戻された五〇万円が株式の払込みに充てられている。この預金は、Cの個人事業により得られた利益を蓄えたものである。
原告らは、この預金は原告らが無給で働いたことにより蓄積することができたものであり、実質的には家業専従者の共有の資産であったから、原告らはその共有資産の持分相当分をもって出資したものであると主張する。
しかし、原告らがCの個人事業である家業に専従し、営業利益を上げることに寄与したとしても、その営業は事業主体であるCの計算において行われるのであるから、営業による損益も事業主体であるCに帰属すべきものである。このC名義の預金をもって、実質的に家業専従者の共有資産であったということはできない。したがって、被告の設立に当たっては、Cがすべての株式の払込金を支出したものと認めるべきである。
2 しかし、だからといって、本件においては、当時の法制上の必要がら原告らを単なる名義株主としたものとみるのは相当でない。
原告X1は、Cが高血圧症で倒れて十分な仕事かできなくなり、両親から家業の後を継いでほしいと要請されたため、大学進学を断念して、高校卒業後すぐに家業に従事するようになり、やはり家業を継ぐため高校卒業後すぐに家業に従事するようになったEやFとともに、病気がちのCをよく助けて、給与の支給を受けることなく家業に専念し、サン・テパートへの出店を成功させて好調に業績を伸ばした。原告X2も、高校 業後に他に就職していたが、両親から家業を手伝うよう要請されて退職し、家業に従事するようになった。Cに家業を法人化すべきであると進言したのは原告X1であり、被告の株主や持ち株数の決定についても、原告X1はCやDとの協議に積極的に関与した。その株主や持ち株数の決定は、当時、B2の業務に携わっていた者を対象とし、それぞれの地位や役割を考慮して、それを反映させるようにしたものである。
このような事実経過によれば、Cは、家業を継ぐためにB2の業務に専念していた原告X1ら三人の兄弟や、家業を手伝ってB2の業務に従事するようになった原告X2には、名義だけではなく、実質的な株主として株式を保有させようとし、原告らにおいても、株式を保有して実質的な株主となることによって、法人化された家業にますます意欲的に携わっていこうとしていたものということができる。このことは、設立以後、代表取締役がC、取締役が原告X1とE、監査役がFという役員構成の下で、原告X1が業務全般の中心となって被告の運営をしていたことからも、推認することができる。
そうすると、Cは、実質的な株主として原告らに株式を保有させるため、原告らの株式の払込義務を原告らに代わって履行したものと認めるのが相当である。これにより、被告設立時において、原告X1は株式七〇株を保有する株主となり、原告X2は株式二〇株を保有する株主となった。
3 このほか、原告X2が結婚のため被告を退職した際、原告X2が保有する 式について実質的な帰属が特に問題となった様子はうかがわれないこと、Fが死亡した時には、Fが保有していた株式は遺産分割協議によってDが相続したことも、原告X2やFが実質的な株主であることを前提にして、よく理解しうるところである。
原告X1が取締価を辞任して被告から退職した後、Cは岩城乃晴税理士に対し、被告の実質的株主はCとDの二人であると述べるようになったが、その意図は、被告を辞めた者は株主にしておくわけにはいかない、被告から出ていったときは株も全部返してもらうという趣旨であったものと思われる(証人O、L)。そうであるとすれば、Cは、被告の設立当初において、被告の業務に従事する者には実質的な株主として株式を保有させると考えていたことになるし、後にDがEに四五株、Gに三〇 、Iに二五株の株式を贈与したのも、同様な意図に出たものということができる。しかし、原告らにいったん株式を保有させた以上は、被告を退職したというだけの理由で株式の保有を奪うことができないことは、いうまでもない。
4 なお、CとDが被告にあてた昭和五一年四月一日付けの確認書(乙三)には、Cが所有する被告の株式数は一五〇株、Dが所有する被告の株式数は三五〇株であることに相違ないとの記載がされているが、この書類をいつ、だれが、どのような経過で作成したのかは明らかでない。
第四 結論
一 株主権の確認
以上のとおり、被告設立時において、原告X1は株式七〇株を、原告X2は株式二〇株を保有する株主であった。
被告は、昭和五六年一二月一〇日、株主から現実の払込みを受けないで、一株につき新株三株を割り当てる新株の発行をしているから、これによって、原告X1が保有する株式数は二八〇株に、原告X2が保有する株式数は八〇株になったものということができる。
二 株主総会決議の不存在
被告において、平成七年一〇月一七日に株主総会が開催されたことを認めるに足りる証拠はない。
したがって、同日開催の臨時株主総会で決議されたというOを取締役に選任する決議、定款一八条及び五条を変更する決議は、存在しないものと認めるべきである。
(裁判官片山良廣)

前田 尚一(まえだ しょういち)
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
ただ、私独自の強みを生かすことを、増員・規模拡大によって実現することに限界を感じています。今は、依頼者と自ら対座して、依頼者にとっての「勝ち」が何なのかにこだわりながら、最善の解決を実現を目ざす体制の構築に注力しています。実践面では、見えないところの力学活用と心理戦について蓄積があると自負しています。

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