不祥事報道がされた場合に,「ウソをつかない経 営」を訴える難しさ
初出:『The Lawyers(ザ・ローヤーズ)』
掲載記事
前田尚一(まえだ・しょういち)
前田尚一法律事務所(札幌)代表。弁護士。北海
道大学法学部卒業。企業法務に関する主な取扱い
分野は労働問題、コーポレート、営業取引関連、
債権回収、不動産等。JR札幌病院倫理委員会・臨床
研究審査委員会各委員など北海道地元に密着した
活動を行う。
「ウソ」は,不祥事を招き,また,不祥事に拍車をかける。
そればかりか,一旦不祥事と決め付けられたら,世間では,何を言っても,「ウソ」と聞け付けられかねない。
それにしても,何時からのことだろう。雁首並べた幹部らが一斉に立ち上がって同時に最敬礼する場面が,事あるたびに繰り返される。しかし,とりあえずのその場しのぎ,極めて稚拙な対応であるとしかいいようがない。
出来事の一人歩き
雪印乳業の集団食中毒事件を発端とする厳しい経営の中,利益優先に走った系列の雪印食品は雪印牛肉偽装事件を引き起こし,発覚後わずか3か月後に解散した。
しかし,拍車は止まらず,連結売上高1兆円を超えていた雪印企業グループ全体が,解体・再編を余儀なくされた。そして,そのプロセスの中で,執拗に説明を求める記者に対する,「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ!」との雪印乳業社長の失言。臨場感溢れる映像で大きく報道され,雪印グループの製品が丸ごと販売店から撤去される事態となったことは,象徴的な出来事だった。
ある出来事が一人歩きして,何倍にも増幅したマイナス評価となり,止めることができなくなることがある。そして,その原動力となるのは「目に見えない大衆の声」であることを押さえておかなければならない。
大きなプラス評価に転じた真逆の例
大きなプラス評価に転じた真逆の例と対比すると一層際立つ。テレビ通販のジャパネットたかたの事案は,不祥事をテコに企業イメージを向上させた適例だ。
同社は,平成16年に51万人分の顧客リストを流出させた。その結果,平成15年度に705億円だった売り上げが663億円にまで落ち込んだ。
しかし事件後,テレビや新聞で謝罪を繰り返し,消費者に適切な対応をしたことが評価され,平成22年度の売り上げは事件前をしのぐ1759億円に達している。
「白い恋人」で有名な石屋製菓の賞味期限改ざん問題も,雪印企業グループに続く北海道の食品メーカーによる不祥事であったが,役員刷新,消費者に適切な対応を繰り返し,「北海道ブランド」のイメージを的確に操作し,事態を巧妙に切り抜けた例だ。
不祥事報道があると,真偽を問わず,有罪の推定が働く糾弾の対象は,不祥事が真実である場合に限られない。
不祥事報道があれば,その真偽に関わらず,世論はマイナスイメージを持つ。
「有罪の推定」が働き,報道された対象者らは,徹底した打撃を受ける。企業の場合,「ウソをつかない経営」をしていることを訴えても,聞き入れては貰えない事態に陥る。
民衆の思い込み『新聞がウソを書くわけない』
ー名誉棄損逆転勝訴(当事務所の勝訴事例)ー
平成8年6月のある日,札幌市議会議員が私の事務所を訪れた。北海道では全国紙を凌ぐ発行部数を誇る北海道新聞に,「札幌市議が出店工作か」の見出しで,同議員のパチンコ店出店に関わる金銭疑惑が報じられた。どこに事情説明に行っても,
「道新がウソを書くわけはない。」「記事がウソだというのなら,証明しろ。」などと責め立てられると,憔悴仕切っておられた。一旦,有罪推定が働くと,自ら説明責任を果たそうにも,世間に対し弁解すること自体が許されない。
金銭をもらった事実がないのだからこそ,証拠を示すことなどできるはずもない。
事実がなかったことを証明することは,そもそも不可能に近い。事実があった可能性を全て否定し尽くさなければならないからだ。困難を強いるという意味で「悪魔の証明」と呼ばれる。
訴訟提起後2年半余りの闘いの結果,裁判所は200万円の賠償を命じた(札幌地裁平成11年3月1日判決:判例タイムズ1047号215頁)。当時,名誉毀損に対する慰謝料は著しく低額であり,100万円が裁判例の相場であるといわれ
ていたが,その2倍の金額が認容された。「“パチンコ疑惑報道”忍従二年半札幌市議菅井盈が道新に全面勝訴」などとも報道された。タイミングよく訴えを提訴したことで,疑惑も比較的早期に晴れつつあったが,判決が言い渡された時点で,同議員の名誉は完全に回復された。
同議員は,人工透析をしながらも,訴訟を闘い続け,その間,選挙も勝ち抜き7期にわたり札幌市議会議員を務めた。しかし,判決後間もなく引退し,その後2年余りで亡くなられた。67歳であった。札幌市政に投入するはずであった精魂を,すっかり使い果たしてしまったというほかない。
個人の実例を紹介したが,企業の場合も同様だ。不祥事事案を報道された場合,経営者を始め,担当者らは,心労その他の重圧の中に置かれる。被害は子どものイジメなど家族にまで及ぶ。センセーショナルな報道に風評被害はつきものだ。
ここではマスコミを糾弾するため実例を挙げたのではない。不祥事と決め付けられ,一人歩きし出すと,正直に説明責任を果たすことさえも許されなくなるということの認識が必要だ。「ウソをつかない」ということだけでなく,「ウソをついた」と疑われないことにも配慮しなければならない。
事実の誇大化,歪曲
前述のパチンコ疑惑報道のように事実無根であるという場合は稀であるとしても,報道内容が,誇大化,歪曲されたものであるというべき場合は,少なくない。
マスコミに大きく取り上げられた雪印乳業の社長発言も,ほんの一コマを切り取って報道されたものだったといわれている。徹夜の会議を終えた朝、会議室から出た途端の記者の質問に最初無言で対応したところ,記者が,「寝ていないで、待ってたんだ。何か、話をしろ!」と言われ,うっかり発した発言が,「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ!」だったというのが実際のようである。
私自身も似た経験がある。
完全に有罪と決め付けられていた事件で,地元の某テレビ局から,当方の説明も客観的に報道したいと個別取材の申入れがあった。孤軍奮闘の状況に合ったので,飛びつき,責任者とともに取材に応じたしかし,報道されていない実情に触れ説明した部分がすべてカットされ,最後に礼儀として世間を騒がせる事態となったことを詫びた部分が,冒頭の巧みなナレーション,風景画像とつなぎ合わされ,それまで報道されていた疑惑を認めたうえでの謝罪であるとも見られかねない映像として放映された。
以来,マスコミ対応では,理不尽な報道内容とされないための仕組みを考え,殊更慎重な対応をするようになった。
裁判で真実を認めてもらえるか
訴訟は真実を認めてもらえる方法であろうか。必ずしもそうとは限らないのが実際だ。
裁判官が偏った独自の考えに囚われて判断すると,実態が歪曲されてしまう。
特別養護老人ホームの入所者に対し虐待行為が行われているとの新聞記事が施設の職員からの情報提供などにより掲載された。虐待行為をしたとされる職員は一貫して否認し続け,職員の目撃証言も矛盾する点もあり,何よりも暴行の痕跡があったとの確たる記録もなく,後に公表された札幌市の調査結果においても,個別の虐待事例については証拠等により特定するに至らなかったとされた。
施設としては,どうしても虐待行為が行われたと確認することができなかった。そこで,施設を設置経営する法人が,新聞社らに加え,職員らに対しても,損害賠償請求訴訟を提起した。
これに対し,職員らは,法人の被用者が職員らに対し数々の嫌がらせ行為をした上に上記訴訟を提起したことが不法行為に当たるとして反訴を提起した。
第1審は反訴を棄却したが,控訴審である札幌高裁は,上記訴訟を不当訴訟と決め付け,反訴請求をそのまま認容したのだ(札幌高裁平成20年5月16日判決)。
上告受理申立をしたところ,さすがに最高裁は,上記訴訟提起は違法な行為とはいえないとして,札幌高裁判決を破棄した(最高裁平成21年10月23日第二小法廷判決:最高裁判所裁判集民事232号127頁・裁判所時報1494号303頁・判例タイムズ1313号115頁・判例時報2063号6頁)
理由書には,ことに加え,ことも併せて記載した。
法人の代理人である私は,申立ての理由中で,判例違反を始めとする理論的理由に加え,感情的な判断としか思えない裁判所の判断を捉え,次のとおり主張した。
「……。そうであるにもかかわらず,申立人の訴え提起を,《・・・・・・権利の存在につきわずかな調査をしさえすれば理由のないことを知り得た》などと説示するのは,申立人が,突如起こった虐待疑惑の中で右往左往しながら,素人で稚拙ながらも何とか真実を確認しようと努力してきたことに一顧だにせずに無視するものにほかならず,独断的な判断というほかない。
高等裁判所民事部が2箇部しかない高裁管内においては,上記のような判断が,裁判官,殊に裁判長の考え・個性によって安易にされれば,管内での控訴提起が萎縮抑制され,裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となりかねない。
なお,原審で取り調べられたA施設長の証言中には,確かに思い込み甚だしいと評価されてもやむを得ないものもあるが,それは,事実そのものではなく,判断過程,意見に関わる部分であって,原判決中に,敢えてA施設長の供述を基に縷々事実認定をする一項を設けて,申立人に不利な結論を導く材料とするまでもないと考えられ,申立人の立場としては,A施設長の証言態度に対する過剰反応と思わざるを得ない。」と。
ところで,上記事件の関連事件で,「暴行事実の認定につき,客観的証拠がない上,行為者が全面的にこれを否定しているので,その認定は,行為者が犯罪者とされるにも等しいから,目撃証言等について慎重な吟味がなされなければならないのに,それが十分ではない」と主張した。
しかし,上記札幌高裁は,「民事訴訟手続の立証は,必ずしも刑事訴訟手続における立証のように,合理的な疑いを差し挟まない程度まで要求されているわけではなく,証拠の優越で足りるとされている」,
「証言の具体性は,一般にその信用性を高めるといえる」などといった理由も加えて,この主張を排斥した(札幌高裁平成20年2月22日判決・公刊物未登載)。
要するに,裁判所自身も,訴訟ルール限りでの結果であることを吐露しているのだ。しかし,裁判所自体がこのように割り切って判断しているなどとは,世間は思いもしない。
訴訟は真実を認めてもらえる方法にするには,工夫が必要だ。
上手くツボにはまった事件もある。
北海道の住民である原告らが,北海道A支庁における農業土木工事において談合が行われていたとして,受注をした会社と北海道知事らに対し、地方自治法に基づいて北海道に代位して損害の賠償を求めた事案だ。原告は,談合による道の損害額を工事予定価格の総額の10%に当たる7850万円であると主張した。裁判例,
学説には,請負契約金額の10%を基準とするものが多い。私は会社を代理したが,会社の担当者に実情を明らかにする資料を作成してもらって証拠として提出し,書面にまとめ主張をしたところ,裁判所は、当方の主張・立証を容れ、判決で「総合的に考慮して5%が相当」との判断を示した(札幌地裁平成19年1月19日判決:裁判所HP)。
賠償額を半分となるということは,支払が半分になっただけではなく,世間に,一般の例に比べて非難されるべき度合いが少ないことをイメージしてもらえることになっただろう。
おわりに
もっぱら不祥事報道がされた場合について述べてきた。
不祥事報道がされた場合,誤報であれば正さなければならないし,不祥事があったとしても,取るべき責任はその程度に応じたものであるべきだから,常に全面的懺悔に応じなければならないというものでないことも当然だ。
しかし,一旦不祥事報道がされると,もはや,周囲をコントロールすることができなくなる。その場面で,一問一答の特効薬などはない。「ウソをつかない経営」を確立するために,日々,一般にいわれている方法で対応しておくこと以外に,事が起きたときのために用意しておくべき有効策は考えにくい。
有効策は,個別対応しかあり得ない。
事案を客観的に把握したうえ,その場で案件の特性を嗅ぎ分け,押さえるべきピンポイントを見つけ出しながら,緻密に対応していくほかないのが実情だ。ただ,
担当した案件にかぎっていえば,多くの場合,事案毎に相応の対応をすれば,切り抜けることができたという実感はある。_