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ルール社会における人情の居場所 ――ドラマが引き受ける感情の行方

なぜ私たちは“不器用な正義”のドラマを見続けるのか

刑事や教官が主人公のドラマを見ていると、「そんなやり方は現実では通らない」と感じる場面が少なくありません。実務に携わる立場から見れば、なおさらです。組織の規律、手続き、リスク管理――どれも無視できるものではありません。

それでも、私たちはその主人公に違和感だけでなく、どこか安堵にも似た感情を覚えます。なぜでしょうか。

答えは単純で、私たち自身が日常で「通らないこと」を十分に承知しているからです。承知しているがゆえに、感情を抑え、折り合いをつけ、合理的に振る舞っている。その積み重ねの中で、「もし許されるなら、こうありたかった」という自己像が、心のどこかに残ります。

ドラマの主人公は、その自己像を安全に引き受けてくれます。しかも彼らは、決して理想論を振りかざしません。無口で、愛想がなく、時には時代遅れに見える。それでも要所で人を見捨てない。その姿は、正義の勝利というより、「それでも人として線を越えなかった」という確認に近い。

興味深いのは、こうした役を演じる俳優が、若さや勢いの象徴ではなく、過去に成功を経験した後の人物であることです。彼らは「これから勝ち上がる人」ではなく、「勝った後に何を残すかを知っている人」として画面に立ちます。その佇まいが、視聴者に過剰な比較や劣等感を抱かせない。

このタイプのドラマは、現実逃避ではありません。むしろ、現実を知り尽くした人間が、感情を整理するための装置です。法やルールを否定するのではなく、その外側に置かれた人情を、もう一度確かめる場と言えるでしょう。

社会が成熟すればするほど、声高な正義は居場所を失います。その代わりに、静かで不器用な正義が、フィクションの中で息をする。そのこと自体が、今の社会の健全さと息苦しさの、両方を物語っているのかもしれません。

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前田 尚一(まえだ しょういち)
弁護士として30年以上の経験と実績を有し、これまでに多様な訴訟に携わってまいりました。顧問弁護士としては、常時30社を超える企業のサポートを直接担当しております。
依頼者一人ひとりの本当の「勝ち」を見極めることにこだわり、長年の経験と実践に基づく独自の強みを最大限に活かせる、少数精鋭の体制づくりに注力しています。特に、表面に見えない企業間の力学や交渉の心理的駆け引きといった実務経験は豊富です。 北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校、北海道大学法学部卒業。

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