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第52回 経験から確立した弁護士としての流儀

月刊「財界さっぽろ」2016年04月取材

会社を守る法律講座

 理系の少年が検事にあこがれ法曹の道へ



裁判官、検察官(検事)、弁護士を総称して「法曹」と呼ばれていますが、私が職業として「法曹」を意識したのは、高校3年生の時です。

鉄腕アトムのお茶の水博士の影響でしょうか、私は小学生の頃から「博士」という言葉に惹かれ、ずっと科学者を志していました。理系進学コースで受験の準備をする最中、アメリカの航空機の受注をめぐって発覚した戦後最大の汚職事件「ロッキード事件」で、1976年7月に前内閣総理大臣・田中角栄氏が東京地検特捜部に逮捕されました。
この「正義」のためには総理大臣も逮捕してしまう特捜検事の活躍を目の当たりにし、検事という職業に憧れたのでした。もっとも、理系進学コースで準備していたので受験しましたが、不合格を良いことにすぐに進路変更し、翌年、北海道大学文類に入学しました。
「巨悪は眠らせない」を旗印に脚光を浴び続ける東京地検特捜部に憧れ司法試験の勉強を続け、86年にようやく合格しました。最近は1800~2000人台の合格者を出していますが、当時の司法試験の合格者は500人程度。合格率も2%前後でした。日夜頑張った割にはなかなか合格できなかったというのが実感です。

当時は5月に短答試験、7月に論文試験、10月に口述試験と半年かけて3つの試験でふるい落とされるという流れでした。論文試験を終えてしばらくすると右眼の視界が下の方から黒くぼやけて見えなくなってきたのです。病院に行くと「網膜剥離」と診断されました。放置すれば失明してしまうので、直ぐに手術が必要とのことでした。その日の内に大学病院に入院し、数日後に手術を受け事なきを得ました。
病院のベッドの上で論文試験合格を知りました。そして、運良く最後の口述試験の1週間前に退院でき、上京。あしかけ2週間に渡って試験官の顔もはっきり見えないまま試験に臨み、最終合格できました。
試験まで目を使えないので、法律の条文、講義のテープを1日中繰り返し聞くことしかできませんでしたが、不思議なことにテープで覚えた箇所がどんどん尋ねられる。物事、上手くいくときというのは、こんなものなのかも知れません。

 

 検事に違和感。弁護士を目指すことに



司法試験に合格すると「司法修習」という見習い期間があります。現在は1年ですが、当時は2年間。始めと終わりは東京の司法研修所でもっぱら理屈を叩き込まれ、間の1年は全国に配属され、裁判所、検察庁、弁護士事務所で実務研修しました。私の実務研修は検察庁で始まりましたが、「華やかな東京地検特捜部の活躍」とはほど遠く、毎日地味な業務の繰り返しでした。しかも、検察庁は徹底した官僚システムであり、上司の決裁が絶対的。描いていた東京地検特捜部のイメージと重なり合わせることができず、検事に対する憧れは急速に冷めていきました。
そして、法律の仕事を生業とするならば、自分の信念や感情を曲げず、自分の人生を自分でコントロールできそうな弁護士に転向しました。その後、特捜部の活動が「歪んだ正義」「国策捜査」などと批判され、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件が起きたことを思い起こすと、私の考えもあながちうがったものではないように思います。ちなみに証拠改ざん事件で起訴された大阪地検特捜部の元副部長は、司法修習で同期でした。

 

 弁護士人生の始まり。難しい案件にも挑戦



89年4月に弁護士登録し、勤務を始めた法律事務所は、当時の札幌では珍しく企業法務を主軸とする事務所でした。経済の実態にかかわる場面を近い位置から見ることができました。マスコミ報道など世間的に考えられていることと違った要因で、物事が動いている事実に直面できたのです。何より、本質に迫って本当の解決は何かを見抜かないと、真の解決はあり得ないと体感する日々でした。
しかもこの事務所は、新しいことを取り入れることに貪欲でした。これまであまり扱ったことのない案件であっても、例えば株式公開したばかりの会社の株主総会対策、労働委員会で処理される対労働組合との労働事件の対処などが、1年目、2年目の私に任されるのです。入門書を探すのも大変な中、リソースを発掘しつつ対応しました。ゼロから始めても何とかなるものだと繰り返し実感しました。
数々の経験を重ね、93年に独立開業しました。初期に担当したのが「円山葬儀場建設反対事件」でした。95年2月に解決した際の讀賣新聞では「市交通局所有地に葬儀場建設を計画したことに、地元住民や隣接する宗教団体が反対。同8月に土地の賃貸契約を結んだ市交通局も巻き込み、昨年3月から相次ぐ訴訟合戦に発展していた」と紹介されています。
この問題が起きて1年後ぐらいに依頼されました。世間では円山住民の「住民エゴ」と捉えられていましたが、政治家がごり押しし、札幌市が調整したかのような実態を発見し、ポイントを潰していったら、葬儀場の建設中止という方向に流れが変わっていきました。それまでエゴに基づく住民運動と決め付けて動いていた市、警察、マスコミの姿勢・対応が逆転し、建設中止の方向に働いたのです。

 

 法律は、法律を知っている者に味方をする!!



独立開業当初から、本質に迫って本当の解決は何かを見抜かないと、真の解決はないということを体感できました。振り返ると、担当する事件に恵まれました。
これまでも「公益法人の会員除名処分紛争」「土地区画整理組合からの建物収去土地明渡の訴え」「資金を出していない者による株主権の取得」「札幌市議の名誉毀損事件」「官製談合事件」「特養ホーム内部告発訴訟」「会社代表者の逸失利益」など、マスコミ報道されたり、判例誌で紹介された事件を企業、経営者側の立場で担当してきました。
「法律」は弱い立場にあるからといって味方してくれません。〝法律を知っている者に味方する!!〟ものだというのが私の実感です。自分を弱者であるとか、被害者であると頑固に言い続けるだけでは、望んだ結果を導けません。
「弁護士」の仕事は〝クライアント(依頼者)との協働作業〟だと考えています。ですから『法律問題』の処理・解決は、クライアントと弁護士がうまく協働すればするほど良い方向に向かう、ということが経験から得た確信です。
『法律問題』に対応するにあたって、まず、依頼された案件について〝本当の解決は何か〟を依頼者ごと、案件ごとに解明していくことから始めなければならないと考えています。

 

 

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前田 尚一(まえだ しょういち)
前田尚一法律事務所 代表弁護士
出身地:北海道岩見沢市。
出身大学:北海道大学法学部。
主な取扱い分野は、交通事故、離婚、相続問題、債務整理・過払いといった個人の法律相談に加え、「労務・労働事件、クレーム対応、債権回収、契約書関連、その他企業法務全般」も取り扱っています。
30社以上の企業との顧問契約について、代表自身が直接担当し顧問弁護士サービスを提供。

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