法律問題にはよくある感想「何を言っているのかわからん」、「納得できない」・・・・・・「城丸君事件」

法律問題にはよくある感想だ。外野席にいる場合はもちろん、当事者もそのような意見を持つことが少なくない。

 

当時小4の城丸秀徳君が1984年に失踪した事件で、殺人罪に問われたxx被告人に対する控訴審の初公判が、11月27日に札幌高裁。

 

xx被告人の以前住んでいた農家の納屋から発見された骨片が、DNA鑑定で城丸君のものであることが明らかになったとして、xx被告人は、殺人罪の時効完成2か月前に逮捕された。殺人罪で札幌地裁に起訴されたが、被告人が一貫して黙秘し続けていたという、そんな、極めて異例な事件だ。なお、xx被告人は、以前にも任意で取り調べられていたが、当時は、技術水準のうえで骨片の身元を城丸君とは断定できなかったとされている。

 

札幌地裁は、5月30日、無罪の判決を言い渡した。が、当時、「何を言っているのかわからん」、「納得できない」という声が、少なからず聞こえたものだった。

 

無罪判決の言渡しをした札幌地裁が示している理由はこうだ。

 

「被告人が何らかの行為により城丸君を死亡させ、その後も長期間にわたり城丸君の遺体を保管したり、焼損した遺骨を隠匿していたこと、被告人が任意の取り調べ時に本件とのかかわりをほのめかす言動を示していたことなどから、被告人が重大な犯罪により、城丸君を死亡させた疑いが強いということができるが、被告人が殺意をもって城丸君を死亡させたと認定するには、なお合理的な疑いが残るというべきである」

 

本稿は、xx被告人が無罪であるのか、それとも有罪であるのか、ということを検証し、私なりの意見を言おうとするものでもない。

 

何故か。理由は簡単……。

 

私は、被告人が城丸君を殺す現場を見ていないからである。「そんなの当たり前,ここまで読んで損をした」と思われる読者もいらっしゃるかもしれない。

 

 

しかし、問題の発生元はここにある。刑事裁判は、「現場を見ていない」裁判官と呼ばれる人々が、裁判所という名前で、検察官が提示した犯罪事実があったかどうかを、国家の決定として判断し、刑罰を科すかどうか、どのような刑罰を科すかを確定する手続だ(むしろ、現場を見ていないから裁判官として裁判できる。本稿ではこれ以上触れないが、遊び人の金さんとして現場を見た”遠山の金さん”は、刑事訴訟法では、裁判官として裁判をできないことになっている)。

 

日本では古代に、“盟神探湯“(くかたち)といって、お湯に手を入れて中の小石などを取り出させ、火傷(やけど)の有無や程度で有罪、無罪を決める方法をとっていたことがある。しかし、文明国では、証拠による証明が必要になってくる。

 

証拠による証明が必要となるのは、”盟神探湯”が非科学的だというだけではない。文明国では、基本的人権を守らなければならないからと説明される。

 

そこで、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が擁立された。そして、この原則によって、証拠によって犯罪を証明する役割を担うのは、国家権力を担う検察官の役割とされている。被告人は無罪を証明する必要はないつまり,有利な証拠を提出する義務はない。xx被告人のように何も語らず,何も反論しないということも、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則のもとでは、まさに正当な行為ということになる。

 

もし、起訴された犯罪が、有罪なのか、無罪なのか、どっちともいえないという場合には、無罪になる。無罪になるのは,どう考えても”真っ白”だという場合だけではなく、「検察官もガンバッテ結構いいとこまで行ったんだけどねぇ」という”灰色”の場合も含まれる。

 

弁護人として活動す場合、”真っ白”であることまで頑張らなくとも、”灰色”にまで持っていけば、無罪となるわけだ。無罪である以上、刑事裁判手続において、”真っ白”であろうと、”灰色”であろうと、被告人の立場に違いはない。

 

城丸君事件の場合、検察官は、xx被告人を殺人罪で起訴したのだから、殺人罪を犯したとするための必要な要件をすべて証明しなければならない。殺人罪とするためには、人を死に至らせる行為、死の結果のほか、「殺意」、つまり自分の行動によって他人に死の結果が起こると認識していたことが必要とされる。

 

人を死を招く行為が認められ、その行為によって死の結果が起きていることが認定されても、「殺意」が認定されなければ、殺人罪とすることはできない。暴力を振るって死なせてしまった場合であれ、傷害致死罪となるし、ウッカリしていて人を死に至らせてしまった場合は、過失致死罪、ウッカリの程度が高ければ、重過失致死罪である。また、例えば、交通事故で人を死なせてしまったら、業務上過失致死罪とされる。

 

しかし、いずれの場合も、「殺意」が認められない以上、刑事裁判において殺人罪とはされない。

 

殺人罪とすることはできくなくとも、過失致死罪、傷害致死罪等々、別の犯罪として刑罰が科される場合もある。

 

しかし、城丸君事件の場合、検察官は、殺人罪として起訴しなければ、それより軽い過失致死罪とか、傷害致死罪等々で起訴することはできなかった。これらの犯罪で起訴しても、いずれも時効が完成していることになり、刑罰を科することはできないためだ(その場合は、「免訴」という判決が言い渡される)。

 

札幌地裁は、「殺意」を検察官が証拠で証明していないと判断した。そして、検察官がxx被告人を殺人罪として起訴しているにもかかわらず、その要件が1つ足りないから無罪とした。刑事裁判、理屈で見る限り、城丸君事件の場合も、ただそれだけのことである。

 

ところで、地裁判決について、弁護側は、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実な判断であると評価する一方、事実認定について疑問が残るとしている。「重大な犯罪」となぜ言及したのか、まるで有罪判決のようだ、と評した識者もいる。

 

というのは、”真っ白”であって、”灰色”であっても、”黒”ではないと判断されたのだから、刑事事件の結論として、無罪として同じ扱いを受ける。だから、敢えて、「殺意」以外の要件が認定できることを、断定する必要はない、と考えるからである。

 

“灰色”と判断するのは、余計なお世話であるばかりか、裁判所は、人様(ひとさま)の人生に関わることを国家権力を盾に独自に決定する訳で、そのために与えられているのは、“黒”か”黒でないか”を決める権限だけである。それ以上に、”白”か”白でないか”を判断し、人様の人生を左右する判断をする権限までは与えられていない、ということになろう。

 

つまり、裁判官の単なる”述懐めいた感想”によって、場合によっては刑罰を科されるのに匹敵するような不利益を負うことさえある、という考え方を基礎とするものであろう。

 

では、裁判官は、検察側がどこまで証明すると、”黒”であると判断してよいのかであるが、「合理的な疑いを超える」程度の証明が必要である、とされている。そして、最高裁判所は、「通常人なら誰でも疑いをはさまない程度の真実らしいとの確信」と表現している。

 

検察側は、札幌地裁がほぼ全面的に検察側の主張を認めた事実認定をしながら、証拠があったのに殺意を認定しなかったことは承服できない、と批判している。要するに、検察側は、「殺意」についても、”黒”であるといえる証明ができている、と言うのだ。したがって、当然、控訴した。控訴審では、この点について攻防がなされることになる。

 

ところで、札幌地裁は、本件では、死因が特定できないこと、犯行態様を客観的に確定できないことなどから、「被告人に殺意があったとするためには、被告人が城丸君を呼び出した目的が城丸君殺害に結びつく蓋然(がいぜん)性が高いことや、被告人に城丸君殺害の明確な動機が認められることが必要というべきである」とし、証拠によって、これらを認めることはできないとした。

 

が、この判断は、死因が特定できず、犯行態様を確定できない場合であっても、被告人が城丸君を呼び出した目的や動機の証明如何によっては、「殺意」を認めることができる場合があると言っていることになる。

 

城丸君事件だけではなく、直接的な客観的証拠の乏しい、他の数々の刑事事件も念頭におくと、地裁判決が、「殺意」を認定する上でのハードルを下げているという指摘があるのは、そのためだ。

前田 尚一(まえだ しょういち)
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
ただ、私独自の強みを生かすことを、増員・規模拡大によって実現することに限界を感じています。今は、依頼者と自ら対座して、依頼者にとっての「勝ち」が何なのかにこだわりながら、最善の解決を実現を目ざす体制の構築に注力しています。実践面では、見えないところの力学活用と心理戦について蓄積があると自負しています。

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