札幌市中央区南1条西11-1コンチネンタルビル9階
地下鉄東西線「西11丁目駅」2番出口徒歩45秒

最高裁に助けを求める(抜粋)

最高裁に助けを求める

第1審で勝訴しても、控訴審で逆転敗訴となることがあります。もちろん逆に、第1審で敗訴したものの控訴審で勝訴に転じることもあります。訴訟代理人である弁護士もまた、そのたび、素直に一喜一憂し、時には狼狽えたりするわけです。なお、本稿は、実は別の目的で書いた文章を、その目的に差し障りのある箇所を除外して、残りを並べ替えたもので、とりとめがなくなっていることをあらかじめお伝えしておきます。

1 控訴審と第1審の関係

「控訴審で逆転=第1審の裁判官が誤っていた」とは限りません。
制度としては、控訴審は、第1審の判断に誤りがある場合にこれを是正する役割を担っています。控訴審の構成は、通常、第1審裁判官より、年次や経験が上の裁判官らを含めての合議体です。そのため、制度全体としては、控訴審の判断の方が正しいことが多いと考えられます。

しかし、個別事件ごとにみれば、「控訴審の裁判官らの方が必ずしも、第1審の裁判官より優れている」とは限りません。
第1審を担当していた裁判官の方が、将来、より高い地位に就くことがありますし、その時点で既に高い能力を発揮していることもあります。

裁判官の人事は、最高裁調査官や事務総局幹部、研修所教官といったポストも絡み複雑であり、単純な上下関係では割り切れません。出世することが、裁判官としての能力に直結するとはいえないとしても、例えば、札幌高裁の裁判長が、次に新潟地裁の所長に異動し、その後に東京高裁の裁判長に就いたなどといったありがちな人事をみると、単純な上下関係では割り切れません。
さらに、最高裁調査官最高裁事務総局幹部司法研修所教官といったポストも絡み、人事の仕組みは複雑です。ちなみに、「私が何かの役に立ったとすれば、これは非常に逆説的なことですが、あまり裁判をしなかったということでしょうか。それは、朝から晩まで裁判をしておったら、得てして視野がせまくなってしまう」という元最高裁長官の言葉があります(西川伸一「最高裁の司法行政部門を知ろう」)。

2 私の経験から

私自身、第1審で勝訴したものの、控訴審で逆転敗訴した経験があります(札幌地裁平成10年1月29日・判タ1014号217頁、札幌高裁平成11年2月9日・判タ1087号203頁)。
ゴルフ会員権をめぐる訴訟で、予約不要のプレーシステム及び特別ゲスト枠が当該ゴルフ会員契約において保証されるべき本質的中核的な価値を有するかどうかが争点でした。結論の当否はともかく、控訴審の裁判官らは(合議体)は、ゴルフに親しんでいないと推察され、その価値認識は、第1審裁判官(単独体)とは大きく異なっていたようです。

ただ、このように、判決結果には納得しがたいものがあっても、証人尋問など審理を尽くされ、少なくとも「やるべきことはやり切った」という感覚が残っています。敗訴者の納得と判決書の説得力は、古くからの重要テーマとされています。
ちなみに、もう随分と前から、敗訴者の納得と判決書の説得力は、古くからの重要なテーマとされえています(遠藤賢治「民訴法および民訴実務が判決書に期待するものはなにか」判タ1222号40頁[2006年])。

3 自由心証主義とその限界

自由心証主義にも限界があるとはいっても、説示の老巧な書きぶりによって自由心証の領域内に埋没すると、たとえ常識外の判断であっても、単なる事実問題として上告審の手続から外れてしまいかねません

実際、勇み足の高裁判決が、最高裁判例に反する説示に踏み込んで破棄された逆説的な例もあります
最高裁平成21年10月23日第二小法廷判決(判タ1313号115頁、判時2082号38頁・「最高裁民事破棄判決等の実情」)は、特別養護老人ホームの入所者に対して虐待行為が行われている旨の新聞記事がこの施設の職員らからの情報提供などを端緒として掲載されたことにつき、この施設を設置経営する法人が、複数の目撃供述等が存在していたにもかかわらず、虐待行為はなく情報は虚偽であるとしてこの職員らに対してした損害賠償請求訴訟の提起が、違法な行為とはいえないとし、原判決を破棄差し戻しした事例です。

原審(札幌高裁平成19年(ネ)213号同20年5月16日第2民事部判決)が、本訴の提起が違法であるとしないで法人の同職員らに対する計画的な嫌がらせ行為が組織的に行われたなどと誤った認定をして反訴請求額の全額を認容していたなら、単なる事実認定としては損害額算定の誤りがあり認容額が大幅に異なってくるとまではいえないとされ、不受理決定がされたかもしれません。
訴え提起が弁護士ぐるみでの愚行であると思い込んでいた裁判長が、最高裁判所の判例(最高裁昭和63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁、平成11年4月22日第一小法廷判決・裁判集民193号85頁)に相反する説示に踏み込んでしまったのでした(「上告受理申立て理由書」)。
裁判官に任官されて10年目辺りで、最高裁裁判官を補佐するスタッフとされる最高裁調査官を経験した裁判官であれば、 第1審、2審の判決文を詳細に吟味する仕事を経験しており、決してこのような勇み足などしないでしょう。。

ちなみに、差戻し後の控訴審(札幌高裁平成21年(ネ)第387号同22年5月25日第3民事部判決)では、きっちりと8掛けの認容額が認められました。
なお、差戻し後の控訴審において、受命裁判官(左陪席)から強力な和解の勧試があったが、的外れで和解に応じるべき状況にはなかった。最後の和解期日は、陪席裁判官に任せたままにせずに、裁判長が自らひとりで担当され、円満に打ち切られています。

4 弁論再開の拒絶、時機に後れた攻撃防御の却下

ところで、裁判所と噛み合わない場面としては、弁論の再開の拒絶、時機に後れた攻撃防御の却下があります。

弁論の再開について、最高裁昭和56年9月24日第一小法廷判決(民集35巻6号1088頁)は、一旦終結した弁論を再開するか否かは当該裁判所の専権事件に属し、当事者は権利として裁判所に対して弁論の再開を請求することができないが、裁判所の裁量権も絶対無制限のものではなく、弁論を再開して当事者に更に攻撃防御の方法を提出する機会を与えることが明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事由がある場合には、裁判所は弁論を再開すべきものであり、これをしないでそのまま判決をするのは違法であることを免れないというべきである、と判示しています。
が、この最高裁判決の建前論はともあれ、「ほとんどの再開は、裁判官が、判決を書こうとしてから、必要な主張の一部が欠けていたのに気付くことによってなされる」とされ、「もしも結論が変わりうるのであれば、私は、この事案でも、再開を認めたかも知れない」などと裁判官経験者が述べるところが(瀬木比呂志『民事訴訟法』230頁[2019年、日本評論社])、大方の裁判官の実際であろうと思われます。

また、時機に後れた攻撃防御の却下については、裁判官経験者は、「実際にこの規定により、却下に至る例が少ないのは、……、裁判官は、程度の悪い時機の後れた主張・立証についてのみに限定しているからであろうと思われる。」(「裁判官と弁護士とを経験して」現代民事法研究会『民事訴訟のスキルとマインド』482頁[2010年、判定タイムズ社])とか、「口頭弁論終結直前における書証の提出…についてはいずれにせよ取るに足りない書証の場合が多い(敗色濃厚な当事者が不要なものを提出する例が多い)」(瀬木『民事訴訟法』292頁)などと言われます。大方の裁判官が、そうなのではないかと思います。

つまり、立法論・制度論(民訴法156条)、つまり建前論はともかく、実際の措置として、弁論の再開をしないでそのまま判決をするとか、時機に後れた攻撃防御方法として却下するというのは、裁判官としても、もはや結論が変わることはないとの確信に至っている場合であって、程度が悪いとか、取るに足りない主張・立証であると考えた場合でしょう。

弁護士の業務を始めてから30数年を超えた私も、一度だけ証拠の申出を時機に後れた攻撃防御方法として却下された経験があります。
裁判長が、公開の法廷において平然と、訴え提起が弁護士ぐるみの愚行であるかのように述べる審理においてでした(札幌高裁平成19年(ネ)213同20年5月16日判決)。この判決は、最高裁平成21年10月23日第二小法廷判決に破棄されました。

この札幌高裁判決の中には、次のような説示部分があります。
「控訴人は、摘示事実3について、証拠によれば、被控訴人の介護職員が▽▽を殴ったことはあり得ない旨主張する。しかしながら、控訴人がその根拠として提出する証拠(甲186ないし199)は、時機に後れた攻撃防御方法として却下されており、それ故、被控訴人北海道新聞社らの反論、反証もなされておらず、これをもとに摘示事実3の真実性を判断するのは相当でない。なお、仮に上記証拠により摘示事実3の真実性が否定されたとしても、取材時に行った裏付け調査が事実確認の方法として相当なものであれば、被控訴人北海道新聞社らの不法行為責任は否定されるところ、前記認定のとおり、被控訴人北海道新聞社らの事実確認の方法は相当なものと認められるから、いずれにしろ、控訴人の上記主張には理由がない。」と。

提訴から10か月近く経過した第5回口頭弁論において主張された相殺の抗弁につき、時機に後れた攻撃防御方法であるとして却下した判断が違法であるとされ、取り消された判決として、東京地裁平成27年12月14日判決(判時2372号33頁)があります。
この事件の控訴審は、東京高裁平成29年4月27日判決(判時2372号25頁)の中に、「(原審は、控訴人からその旨の指摘を受け、慌てて弁論終結をしたものである。)」と控訴人の主張を記載しています(「事実及び理由」第2の2「(当審における控訴人の主張)」の「(3)相殺の抗弁を却下した原審の判断は違法であることについて」)。控訴審が民訴法159条1項による却下の可否を判断する上では必要ではない控訴人の主張部分を、あえて判決文中に括弧書きで記載してます。第1審の判断が誤りというだけではなく、よほど酷いものであることを言っておかなければならないと考えたからと思われます。
裁判所が、その確信した結論(実は思い込み)に固執した挙げ句、当事者の提出しようとする攻撃防御方法を、程度の悪い、取るに足りないと決め付け、過度な早期結審を図ろうとする目に余る例が実際にあるということです。

5 高裁の判断と最高裁の役割

ところで、日本の民事裁判官について、「視野はあまり広くないが、丁寧で緻密な仕事をしようという志向」があったと述べられる(瀬木『民事訴訟法』612頁)。

一般論・抽象論としては、全くそのとおりであると考えますが、この著者が、「最高裁判所が、審理不尽等の用語を用いつつ、実際上は原判決の事実認定を論難して破棄しているに等しい判断を行うことがままあった(原判決の事実認定がおかしいと思うと、我慢ができなくなってつい手が出る)。しかし、法律審がこれを行うのは、危険なことである。」と言い切ることには、賛成できません。

私の経験限りであるが、早期の事件処理を過度に意識したり、判断に関する過信に行き過ぎるおかしな高裁判決に遭遇することもなきにしもあらずであって(属人的に現れることが多いように思われる。)、最高裁において、我慢ができなくなったら、ぜひ手を出してほしい、というのが当事者から依頼を受けた弁護士の実感です。

新堂幸司・東大名誉教授は、「専門的な知識にわたる経験則」に関わる判例との関係で述べられているものですが、「このような扱いは、個別事件の救済のために最高裁が事実審の事実認定に介入する機会を認めるもので、上告制限を掲げた改正法の趣旨には沿わないが、高裁判決の実情を踏まえると、このような原判決破棄の途を設けておく必要は否定し得ない」と指摘しています(新堂幸司『新民事訴訟法[第6版]』602頁[2019,弘文堂])に共感を覚えます。現場を知る弁護士として、最高裁が「最後の砦」として機能してくれることに期待せざるを得ません。

6 最高裁の人事とその背景

横道にそれますが、西川文献では、矢口洪一・元最高裁長官の次のような発言が紹介されています。

「率直に言って、事務総局には、いい人材を集めています。事務総局と、研修所の教官と、最高裁調査官、その三つは、いずれも一番いい人材を集めている。その功罪は問われるでしょう。けれども、いい人材でないと、国会なんかはまだいいですが、大蔵省など行政官庁と折衝するときに、対等に折衝できないんです。(中略)大体、そういうことのできる人は、裁判もできるんです。裁判しかできないのでは、困るんです。」「私には裁判官を長く務めることが、裁判官として大成する道だとは、どうしても思えない」
「裁判は、まあ何とかできるが、事務は駄目だという人はいますが、事務はできるが、裁判はできないという人は、不思議にいませんね。」
「私が何かの役に立ったとすれば、これは非常に逆説的なことですが、あまり裁判をしなかったということでしょうか。それは、朝から晩まで裁判をしておったら、得てして視野がせまくなってしまう」

現役裁判官(発言当時)からは、【客観的証拠のない誠実な態度の本人の供述の評価】と題するエピソードとして、「私としては、証拠のない誠実な本人を信用したいと思うのですが、あまりにも証拠がなさ過ぎました。何かもう一つでも裏付けるものがあれば、認容できたのになあ、といまだに思っている事件です。」などと公言されています(判タ1232号20頁・研究会「事実認定と立証活動」[2007年])。
裏返せば、客観的な証拠がなくとも、正しい心証は採れるとの表明にほかならないであろう。相手も含め生のままの当事者には裁判官よりは近い状況にある者としては、この表明は、そのとおりであるとすれば、ギフテッドの特殊能力によるものとしか考えられない。
しかし、私の経験の限りであるが、現実的な問題は、これf“神技”であるはずなのに、同様の発言をされる方々が、思いのほか多数いらっしゃったということです。

結語

このように、控訴審と第1審の関係、弁論再開の拒絶や時機に後れた攻撃防御の却下、さらには裁判官人事のあり方など、を踏まえると、民事訴訟における「最高裁の存在意義」は決して形式的なものではありません。現場の弁護士としては、時に「最高裁に助けを求めるしかない」と痛感させられるのです。

 

 

前田 尚一(まえだ しょういち)
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
ただ、私独自の強みを生かすことを、増員・規模拡大によって実現することに限界を感じています。今は、依頼者と自ら対座して、依頼者にとっての「勝ち」が何なのかにこだわりながら、最善の解決を実現を目ざす体制の構築に注力しています。実践面では、見えないところの力学活用と心理戦について蓄積があると自負しています。

dbt[_C24 k̗ \݃tH[