海保機は滑走路に40秒停止、管制官「進入に気付かなかった」
…許可なく停止位置で止まらず
讀賣新聞オンラインの記事(2024/01/05 05:00)の見出しです。
大きな事故や紛争が起きると、多くの人は「何が正しかったのか」という単純な答えを求めます。
しかし実際には、「事実をどう認定するか」と、「その事実をどう評価するか」は別の問題です。
羽田空港での日航機・海保機衝突事故を見ていると、裁判で当事者が判決に失望する理由とも重なる部分を感じます。
「事実」と「評価」は別である ― 羽田空港事故と裁判で起きる判断のズレ
羽田空港で発生した日航機・海保機衝突事故では、多くの人が、
「結局、誰が悪かったのか」
という一点に注目しました。
しかし、現実の事故や紛争では、
その結論に至るまでに、
・何が事実だったのか
・その事実をどう評価するのか
という、別々の問題が存在しています。
報道では、
「海保機は滑走路に40秒停止」
「管制官は進入に気付かなかった」
など、断片的な情報が次々と出てきました。
もし、海保機側が滑走路進入許可を誤認していたのであれば、
海保機側の責任が問題になりそうです。
しかし一方で、
滑走路上に機体が停止していたことに管制側が気付いていた、あるいは気付くことが可能だったのであれば、
「なぜ、その時点で修正指示が出されなかったのか」
という問題も生じます。
つまり、
同じ事故でも、
どの事実を重視するかによって、
見え方は変わります。
ここで重要になるのが、
「事実」と「評価」は別である
という点です。
裁判でも、
まず問題となるのは、
「何があったのか」
という事実認定です。
しかし現実には、
事故現場を完全に再現できるわけではありません。
しかも、
当事者ごとに見えていた情報は異なり、
記憶も一致しません。
証拠も、
常に十分とは限りません。
そのため、
裁判では、
「客観的に明らかな事実」
だけで構成されるわけではなく、
・断片的な証拠
・不完全な記憶
・前後関係
・当時の状況
などを組み合わせながら、
事実認定が行われます。
さらに難しいのは、
その後です。
仮に事実がある程度確定できたとしても、
「その事実をどう評価するか」
という別の問題が生じます。
法律では、
一定の基準(規範)を使って、
事実を評価します。
裁判実務では、
これを一般に「三段論法」と呼びます。
例えば教科書的には、
大前提:
すべての人間は死すべきである。
小前提:
ソクラテスは人間である。
結論:
ゆえにソクラテスは死すべきである。
という形です。
裁判も、
理屈の上では、
この構造で判断されます。
しかし、
現実の紛争では、
その前提となる「事実」自体が揺れています。
しかも、
現場では、
・時間制約
・情報不足
・心理状態
・組織構造
・思い込み
・周囲の空気
といった、
数値化しにくい要素も大きく作用しています。
そのため、
当事者から見ると、
「なぜ、そんな認定になるのか」
「なぜ、その事情が重視されないのか」
という不満や失望が生じることがあります。
これは、
裁判官が真面目かどうか、
公平かどうか、
という単純な問題ではありません。
現実の出来事を、
後から限られた情報で整理し、
一つの結論に収束させること自体が、
非常に難しい作業だからです。
そして、
大きな事故や紛争ほど、
人は、
「単純な答え」
を求めます。
しかし現実には、
事故も紛争も、
「誰が悪いか」
だけで説明できるほど、
単純ではないことが少なくありません。
だからこそ重要なのは、
感情や空気だけで結論を急がず、
・何が事実なのか
・どの情報が不足しているのか
・どの基準で評価しているのか
を冷静に整理することなのだと思います。
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