AIによって、「調べる」「まとめる」「形にする」ことの多くが高速化しています。
その結果、社会は少しずつ、「どれだけ苦労したか」より、「結局どう判断したか」を重視する方向へ動き始めているのかもしれません。
“努力賞”が消える時代、人間に残るもの
AIによって、
「調べる」「整理する」「まとめる」
という作業は、猛烈な速度で高速化し始めています。
以前であれば、
・資料を探す
・文献を読む
・判例を比較する
・論点を整理する
・文章をまとめる
だけでも、大変な時間と労力が必要でした。
そのため、
「ここまで調べた」
「ここまで作った」
「こんなに時間をかけた」
こと自体に、
ある程度の価値がありました。
いわば、
“努力工程”
そのものに、評価が存在していた。
しかし現在、
AIは、その多くを短時間で実行し始めています。
しかも、
かなり“もっともらしく”。
すると、
社会全体の評価軸も、
少しずつ変わっていく可能性があります。
つまり、
「どれだけ頑張ったか」
より、
「結局、何を判断したのか」
が問われやすくなる。
これは、かなり厳しい変化です。
なぜなら、
最後に残る部分には、
・経験
・温度感
・違和感
・責任
・優先順位
・人間理解
が必要になるからです。
しかも厄介なのは、
そこは“努力量”が見えにくい。
例えば、
本当に強い実務ほど、
・論点を増やしすぎない
・無理に争点化しない
・あえて一歩引く
・不要な主張を削る
という方向へ向かうことがあります。
しかし外から見ると、
「何もしていない」
ようにも見える。
料理も似ています。
本当に高度な料理ほど、
・余計な味付けをしない
・素材を活かす
・火を入れすぎない
・引き算で成立させる
ことがあります。
しかし、それは決して、
“簡単だから”ではありません。
むしろ逆です。
誤魔化しが効かない。
素材理解、
温度感覚、
止め時、
経験――
そうしたものが露出する。
ところがAI時代は、
大量の“濃い味”が供給されます。
情報量が多く、
見た目も整い、
もっともらしく、
即座に出てくる。
だから逆に、
「静かな精度」
は見えにくくなる。
これは、法律実務だけではありません。
文章、
企画、
経営、
教育、
接客――
多くの分野で、
「頑張っている感」
より、
「結局、どこを見て、何を判断したのか」
が問われる方向へ進む可能性があります。
そして、
ここで難しいのは、
努力が不要になるわけではない
ということです。
むしろ、
努力の“場所”が変わる。
昔は、
・暗記
・検索
・整理
・長時間作業
へ努力していた。
しかし今後は、
・選別
・削除
・優先順位
・違和感検知
・人間理解
・最後の判断
へ努力が移っていくのかもしれません。
しかも、
後者は“努力している姿”が見えにくい。
だから今後は、
「こんなに頑張っているのに評価されない」
と感じる人も増えるかもしれません。
一方で、
“最後の味付け”
を本当にできる人の価値は、
逆に大きく上がる可能性があります。
AIは、
下ごしらえを猛烈な速度で終わらせていく。
だからこそ、
最後に、
何を残し、
何を削り、
どこで味を決めるのか。
そこに、
人間の仕事が濃縮されていくように思います。
AI時代は、人間の価値が“判断責任”へ圧縮されていく
皮肉なのは、その価値は外から非常に見えにくいことです。
静かな判断ほど、派手さがないので。
でも見えなくともかまわない。
そっと活用すればよいのだから。
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