予防法務というと、規程を整え、問題が起きないよう穏便に運営することだと思われがちです。しかし、社会福祉法人では、利用者・家族、職員、労働組合、役員、行政など、多くの関係者の利害が交わります。紛争を完全になくすことはできません。
むしろ重要なのは、問題が起きたときにも、法人がそれまでの判断と対応を説明でき、必要な主張を維持できることです。予防法務とは、紛争から逃げる仕組みではなく、紛争になっても崩れない運営を、平時からつくることです。
社会福祉法人の予防法務は、紛争をなくすことではない
「問題になる前に、規程を整えておきたい」
「職員との紛争を、できるだけ起こさないようにしたい」
社会福祉法人から予防法務のご相談を受けるとき、こうした希望が出されることがあります。
もちろん、就業規則、賃金規程、ハラスメント規程、事故対応手順、内部通報制度、理事会・評議員会の運営規程などを整えることは重要です。
しかし、規程があることと、法人が紛争に耐えられることは同じではありません。
社会福祉法人の予防法務で本当に問われるのは、問題が起きた後に、その規程どおりの運用をしてきたと説明できるか、例外的な対応をしたのであれば、その理由を説明できるかという点です。
「紛争を起こさないこと」を目的にすると、判断を誤ることがある
社会福祉法人では、利用者へのサービスを継続しながら、多数の職員によって現場を運営しなければなりません。
そのため、問題のある言動があっても、退職されると困る、採用が難しい、他の職員への負担が増えるといった事情から、対応が先送りされることがあります。
また、対立を避けるために、注意を口頭だけで済ませる、例外的な勤務を黙認する、一部の職員だけに便宜を図る、役員間の対立を表面化させないために曖昧な決裁を続けるといったことも起こります。
その場では、紛争を回避できたように見えます。
しかし、その対応が積み重なると、後から次のような問題になります。
- 法人が問題を認識していたのに放置したと評価される
- 同じ行為に対する処分や取扱いが、人によって異なる
- 規程と実際の運用が食い違う
- 管理者ごとに指示や説明が変わる
- 必要な指導をしても、記録が残っていない
- 理事長や施設長の個人的判断と、法人の正式な判断の区別がつかない
- 後から強い措置を採ろうとしても、それまでの黙認との整合性が取れない
紛争を避けるための小さな妥協が、将来、法人の選択肢を狭めることがあります。
予防法務は「規程」「運用」「判断」の三つで考える
社会福祉法人の予防法務は、規程を作成するだけでは完成しません。
1 規程
就業規則、賃金規程、服務規律、懲戒規定、ハラスメント対応規程、内部通報規程、事故対応手順、決裁規程などに、必要な根拠が置かれているかを確認します。
規程に根拠がなければ採れない措置があります。他方、規程に書けば直ちに有効になるわけでもありません。
2 運用
規程が現場で実行可能か、管理者が内容を理解しているか、例外が常態化していないかを確認します。
例えば、時間外労働を申請制にしていても、申請できない雰囲気の中で業務量だけが与えられていれば、規程と実態は一致しません。指導書の書式があっても、管理者が注意を記録しなければ、後の人事判断にはつながりません。
3 判断
事実関係を踏まえ、今回は指導にとどめるのか、配置を変えるのか、懲戒を検討するのか、あるいは組織側の運用を改めるのかを決めます。
同じ規程があっても、事案の性質、過去の対応、他の職員との均衡、利用者への影響、将来の再発可能性によって、採るべき措置は変わります。
ここは、規程の検索だけでは決まりません。
裁判所や労働委員会は、後から何を見るのか
紛争になった場合、裁判所や労働委員会は、法人が後から作った説明だけを見るわけではありません。
問題が発生する前後に、法人がどのような資料を持ち、何を認識し、誰が、いつ、どのような理由で判断したかを見ます。
そこで重要になるのは、例えば次のような資料です。
- 就業規則その他の規程と、その周知状況
- 勤務表、タイムカード、業務記録、申請書
- 職員に対する指導、注意、面談の記録
- ハラスメントや事故についての事情聴取記録
- メール、チャット、申し送りその他の日常的記録
- 類似事案に対する過去の対応
- 理事長、施設長、管理者間の報告・決裁経路
- 理事会・評議員会の招集資料、議案、議事録
- 例外的取扱いをした理由と、その検討過程
書類の量が多ければよいわけではありません。
必要なのは、規程、日常の運用、個別判断がつながっていることです。後から別々の書類を集めても、その間に矛盾があれば、法人の説明は弱くなります。
穏便な解決が、常に法人を守るとは限らない
予防法務という言葉からは、対立を避け、できるだけ早く譲歩して終わらせる姿勢が想像されるかもしれません。
しかし、安易な妥協が新たな問題を生む場合があります。
一人の職員に対する例外的な譲歩が、他の職員との公平を崩すことがあります。根拠のない要求に応じたことが、次の要求の出発点になることもあります。法人が曖昧な説明をしたために、かえって利用者・家族や職員の不信を強めることもあります。
反対に、法人側の運用に問題があるなら、それを認め、改めなければなりません。
大切なのは、常に争うことでも、常に譲ることでもありません。
何を守るために、どこまで修正し、どこからは譲らないのかを判断することです。
紛争実務を経験した弁護士が、予防法務に関与する意味
規程や制度は、実際に争われたときにどのように読まれるかを知らなければ、形式的な整備に終わることがあります。
当事務所は、社会福祉法人をめぐる紛争について、最高裁判所で全面敗訴の高裁判決が破棄された事件や、中央労働委員会において北海道労働委員会の判断を前提としない解決に至った事件などを担当してきました。
これらの経験から分かるのは、紛争の勝敗は、最後に提出する法律論だけで決まるものではないということです。
問題が発生する前から、どのような制度を置き、どのように運用し、問題の兆候をどう扱い、何を記録してきたかが、その後の選択肢を左右します。
紛争実務から予防法務へ戻すべきものは、単なる「勝ち方」ではありません。
どの事実が後から重要になるのか、どの時点の判断が争点になるのか、どのような曖昧さが法人の説明を崩すのかという知見です。
顧問弁護士は、問題を全部引き取る存在ではない
社会福祉法人の運営について最終的に判断するのは、法人自身です。
弁護士が法人に代わって経営し、現場を管理することはできません。また、法的リスクをゼロにすることもできません。
顧問弁護士の役割は、法人が判断できるように、事実関係、規程、過去の運用、選択肢、その後に起こり得る展開を整理することです。
特に、次のような段階で相談することに意味があります。
- 問題職員への対応を、現場管理者だけで抱えている
- 注意や指導を繰り返しているが、記録や方針が統一されていない
- 例外的な勤務・賃金・手当の取扱いが長期間続いている
- ハラスメント申告や内部通報を受けたが、調査方法が決まっていない
- 労働組合から要求や団体交渉申入れを受けた
- 理事長、理事、評議員、施設長の間で権限認識が一致していない
- 重要な支出や人事について、必要な決議や記録に疑問がある
- 既に顧問弁護士がいるが、重大案件について別の角度から検討したい
紛争が始まってから初めて相談することもできます。しかし、法人がまだ複数の選択肢を持っている段階で相談した方が、対応の幅は広くなります。
当事務所が考える社会福祉法人の予防法務
社会福祉法人の予防法務は、紛争を一件も起こさないことを約束するものではありません。
問題を隠し、対立を先送りし、規程だけを整えて「問題がないこと」にするものでもありません。
平時の規程と運用を一致させる。問題の兆候があれば記録し、必要な指導や修正を行う。重大な局面では、誰が何を判断するのかを明確にする。そして、争うべきときには、法人として一貫した説明を維持できるようにする。
それが、紛争に耐えられる法人運営です。
当事務所は、35年以上の訴訟・紛争実務と、社会福祉法人を含む法人顧問の経験を、平時の規程、運用、判断の整備に戻すことを重視しています。
法律上の正解を示すだけでなく、その判断が現場で実行できるか、将来も維持できるかまで検討します。
目の前の法的正解だけではなく、
初動・情報整理・損失配分・将来維持可能性を含めた現実判断を重視しています。
実際の紛争や経営判断では、初動で何を整理し、何を守り、何を優先するかという判断が、その後の結果を大きく左右します。
そのため、法律的な見通しをご説明するだけでなく、状況や選択肢を整理し、依頼者の方が納得して判断できるよう支援することを大切にしています。
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