サンドウィッチマンの伊達みきおさんが、体調不良をきっかけに病院で検査を受け、脳梗塞と診断されたことが報じられました。
将来起きることを、すべて予測することはできません。しかし、経験したことのない違和感が現れたとき、それを放置せず、早い段階で専門家につなぐことはできます。
そして、その先で結果を左右するのは、単に「専門家に相談した」という事実だけではなく、その局面を具体的に見て、必要な判断と行動につなげられる専門家であるかどうかです。
「いつもと違う」と感じたとき、誰にどうつながるか
サンドウィッチマンの伊達みきおさんが、脳梗塞と診断され、当面の間、休養することが発表されました。
報道によれば、伊達さんは体調不良を訴えて病院で検査を受け、脳梗塞と診断されたとのことです。医療関係者による迅速な対応もあり、幸い大事には至らず、現在は入院治療を受け、リハビリに励んでいるとされています。
病状の詳細は明らかにされていませんし、外部から推測すべきことでもありません。
それでも、この報道から一つ、私たちが確認しておいてよいことがあります。
それは、「いつもと違う」と感じたときの初動です。
すべてを予測することはできない
病気に限らず、これから何が起きるかを完全に予測することはできません。
健康診断を受け、生活に気をつけ、必要な薬を服用していても、それまで経験したことのない異変が突然現れることがあります。
仕事や経営上の問題でも同じです。
契約書を整え、社内規程を設け、専門家と顧問契約を結んでいても、予想していなかった紛争や事故、不祥事が起きることがあります。
備えることは必要です。しかし、どれほど準備しても、起こることのすべてを事前に想定することはできません。
だからこそ重要になるのが、異変が起きた後の判断です。
「いつものこと」と片づけない
今回の報道では、伊達さんが体調不良を訴え、病院で検査を受けたことが、脳梗塞の診断につながりました。
この経過は、一見すると当たり前のようにも見えます。
しかし、現実には、体調の変化があっても、
「疲れているだけだろう」
「少し休めば治るだろう」
「以前にも似たことがあった」
と考え、しばらく様子を見ることがあります。
多くの場合、それで何事もなく終わるでしょう。
問題は、本当に重大な異変が起きている場合にも、人は自分の経験の範囲内で説明をつけ、「いつものこと」にしてしまいやすいことです。
経験が豊富であるほど、過去の経験が判断の助けになる一方、それまでの経験では説明できない事態を見落とすこともあります。
重要なのは、直ちに原因を正確に言い当てることではありません。
自分では原因を説明できなくても、「これは、いつもとは違う」と立ち止まることです。
経験外の違和感は、専門家につなぐための合図になる
私は以前、「不測の“お告げ”には即対策・即行動を!」という文章を書きました。
朝、目が覚めたとき、それまで経験したことのない体調の悪さを感じ、脈拍を測ると120ありました。
痛いわけでも、強く苦しいわけでもありません。しかし、明らかにいつもとは違う。
そこで、たまたま受診時期が近かった呼吸器科の医師に相談したところ、心電図検査を受けることになり、その結果、循環器科を直ちに受診するよう指示されました。後に、心房細動と診断されました。
そのとき、私が病名を予測できていたわけではありません。
ただ、自分の経験の範囲には収まらない違和感を、そのままにしなかった。
そして、最初に診た医師が、自分の領域だけで処理せず、必要な専門領域へつないでくれた。
この二つが重なったことで、脳梗塞の危険に対する治療につながりました。
将来を正確に予測できなくても、経験外の違和感を、専門家につなぐための合図として扱うことはできます。
ただ専門家に行けば、それで終わるわけではない
もっとも、問題は「専門家に相談したかどうか」だけではありません。
私はその後、心房細動、心不全、亜急性心筋梗塞、緑内障をめぐって、転院や別の医師への相談を経験しました。
同じ症状、同じ検査結果、同じ患者を前にしても、専門家によって、何を見るか、どの検査をするか、どの段階で治療に踏み切るかは同じではありません。
医療が高度に専門化し、標準的な診断や治療の仕組みが整えられることによって、多くの患者が救われます。
しかし、標準的な仕組みの中だけでは拾いきれない患者もいます。
そのとき必要になるのは、病名について一般的な知識を持っていることにとどまらず、目の前の患者の状態を個別具体的に見て、この局面では何が必要かを判断する専門性です。
私は、これを、
「多数の患者を一定の水準で診るための専門性」
と、
「目の前の一人を深く見て、その人に必要な方法を見極める専門性」
とに分けて考えています。
どちらも必要です。しかし、重大な分岐点では、後者の専門性が結果を左右することがあります。
法律問題にも、同じ構造がある
医療と法律は異なる分野です。
それでも、問題が発生したときの構造には、共通するものがあります。
企業で何か異変が起きたときにも、
「まだ正式な請求は来ていない」
「相手も本気ではないだろう」
「これまでも話合いで収まってきた」
「法的な問題になってから弁護士に相談すればよい」
と判断し、しばらく様子を見ることがあります。
しかし、紛争は、裁判が始まったときに初めて発生するものではありません。
相手方の態度が変わったとき、これまで出てこなかった人物が交渉に加わったとき、突然書面が届いたとき、社内の説明が食い違い始めたときなど、すでに状況が動き始めていることがあります。
その初期段階で、
何が起きているのか。
どこに重大な分岐があるのか。
今してよいことと、まだしてはいけないことは何か。
誰を交渉の前面に出すのか。
どの時点で、どのような対応に切り替えるのか。
これらを整理できるかどうかによって、その後の選択肢は大きく変わります。
専門家の役割は、病名や法律名を答えることだけではない
専門家に相談するというと、病名や法律上の答えを教えてもらうことだと考えられがちです。
しかし、現実の問題は、名称を付けただけでは解決しません。
重要なのは、目の前で起きている事実を拾い上げ、その意味を判断し、次の行動へつなぐことです。
依頼者が訴える違和感の中から、何が重要なのかを見極める。
一般論を、その人、その会社、その局面に当てはめる。
必要であれば、自分だけで抱え込まず、別の専門家や適切な手続につなぐ。
そして、今動くべきか、まだ待つべきかを判断する。
そこまでして初めて、専門知識が現実の結果につながります。
「いつもと違う」は、立ち止まる理由になる
伊達さんの脳梗塞について、外部にいる私たちが医学的な評価を加えることはできません。
ただ、報道された経過からは、体調不良を自覚して検査を受け、迅速な医療対応につながったことが分かります。
異変を感じた段階で、病名まで分かっている必要はありません。
「何かがおかしい」
「これまでとは違う」
「自分の経験だけで判断してよいのだろうか」
そう感じたこと自体が、いったん立ち止まり、専門家につなぐ理由になります。
そして、専門家の側に求められるのは、その違和感を一般論の中に押し戻すことではなく、個別具体的な事実として受け止め、必要な判断と行動につなげることです。
将来の出来事をすべて予測することはできません。
しかし、異変が現れた後の初動と、そこで誰の判断を求めるかは、選ぶことができます。
それは、病気の場合にも、経営や法律問題の場合にも、致命的な成り行きを避けるための重要な分岐点になるのだと思います。
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